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怨霊信仰・御霊信仰

2020年03月21日 19:43

政治的に落ち着いた平安初期に
怨霊信仰・御霊信仰もまた成立する
平安京では御霊神社があり
貞観五年に神泉苑にて初めて御霊会という怨霊の御霊を鎮め神として祀るようになる
誰が怨霊となるか
不遇な境遇で憤死し恨みを持って亡くなっていった人物達がそれにあたる。
日本三大怨霊としては
菅原道真
平将門
崇徳上皇
がいる。
必ずしも死後直ぐに怨霊となるわけでは無く
数年後若しくは数十年後に疫病や天災が起きたあとである。

祭祀のあり方や仏教なども怨霊を鎮めるという本来のあり方とは
また別のあり方として使われるようになる

今現在御霊として御霊神社に祀られている人物は政治的に抹殺された人々なので
ほぼ無名の皇族であったり公家であったりする。

奈良朝から平安朝に移行する過程の権力闘争は思っている以上に凄惨だったと思えるし
御霊として祀られていなくとも権力闘争の敗者のその後もいうまでもない。

歌人として歴史に残っている人物にも多い

紀貫之なども紀氏という歴とした名門で古代から続く紀伊国国造家で紀氏からは
入内する女子を多く出していたが徐々に力を失っていく
在原業平なども臣籍降下した皇族であり実力者では有ったものの
政治的敗者である

最終的には藤原氏の時代になるのだが藤氏内部での権力闘争勿論ある。

平安時代は実に不穏な時代だったと言っても過言が無い
摂関家の台頭、
上皇法王といった皇族内での権力闘争もあり
公家でありながら中央での活躍の場を奪われた貴族達は武門となり
武家社会が成立し平安時代は終を迎える

平安時代はは古代から続く名門の没落と
臣籍降下した皇族貴族達、藤原氏内の権力闘争の歴史だった
「薬子の変」や「応天門の変」がその代表であり
勿論中央以外、地方での反乱は数えたらきりが無い

西行は元は佐藤義清といい武門の藤原氏であり
前線で戦をしている武門と権力闘争に明け暮れている中央に嫌気をさし仏門に入る
この時代はもう平安末期であり保元・平治の乱とうい戦乱が京で起き
鎌倉時代への引き金が引かれる

奈良朝に戻ります

続く

このデジログへのコメント

  • ネコマルver2 2020年03月23日 03:36

    過去からずっと怨霊でいつづけるエネルギー、凄いな。また、そう思い続ける、その人に対して、可哀想な気持ちになる。

  • ぶだい 2020年03月23日 21:24

    > ネコマルver2さん

    怨霊とされる人物はそうは思っていませんよ
    怨霊ではないかという心当たりのある人物が作り上げたんです
    崇徳上皇以外は

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