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弓削道鏡

2020年03月13日 21:50

今気になっているのが
この地味な歴史上の人物

弓削道鏡って・・・
多分教科書のは載ってないよね?
載ってるか?

教科書的な説明をすると
称徳帝は病になり道鏡仏法にすがり
称徳帝と道鏡恋仲になり云々・・・
奈良朝時代の僧侶称徳天皇孝謙天皇)に寵愛を受け
大僧正に抜擢され更に称徳天皇道鏡皇位を譲ると言い
時の政権を混乱させ称徳天皇を翻意させるために
和気清麻呂がわざわざ九州宇佐八幡宮まで行き
皇位皇族が継ぐべしとの神託を受け帰り
その結果に激怒した称徳帝は
和気清麻呂和気穢麻呂(きたなまろ)に改名させた。
そして無事安泰


ざっくり書くとこんな感じ
多分教科書でもこの程度

さて何故弓削道鏡なのか?
さて何故称徳天皇なのか?

まず弓削道鏡の出自である弓削氏とは?
これは読んで字の如しで
弓を削る弓削部で姓を「弓削」と名乗った一族であり
さらには物部氏に連なる一族であるという事実がとても重要な点

物部氏は大化改新乙巳の変)で蘇我氏と戦になり敗れ去った豪族だが
蘇我氏のような新興豪族では無く歴史を遡れば神話時代まで遡れば
天孫族にあたり
神武天皇大和を平定する以前は大和の地で王権を持っていた饒速日命子孫であり
神武饒速日は同じ天照大神を祖とする親戚である。

神話ではね

ちゃんと記紀に書いてあるんで一応ね

神武大和を平定するに当たりアマテラスから賜った剣がある

それは布津魂剣といい

いまその剣が奉られているのが

その剣こそ物部氏の氏神でありそれを奉っているのが

石上神宮という物部氏の社であり、神宮という冠の就いた最初の神社である。

わかりやすく言っちゃうと
神武は親戚が最初に統治した大和を武力で簒奪した。
それ故にその一族子孫をぞんざいには扱えなかったし
王権としての正当性は饒速日命にある。
よって物部氏として権力の中心勢力として長きにわたって存在感を持っていた

物部氏とは
もののふ」と「もののけ」を「武」と「呪」両方を司る一族である。

古代社会においては武も呪術同じでむしろ呪術の方が優先されていただろう

先に大和にたどり着いた饒速日命一族はその両方を持っていた
後に大和にたどり着いた神武は武力しか持っていなかった

んんん

称徳天皇は病に落ちていた
近代医学など無い時代である
呪詛に頼るしか無かったのではないか?
奈良朝時代の仏教唯識というインド哲学が中心である


続く

このデジログへのコメント

  • 彩香 2020年03月14日 01:00

    こんばんは( ^^)
    まだまだ知らないことがたくさんありますね(*^_^*)
    歴史なんて久しぶり☆
    もう一度勉強しなおしてみようかしら(*^_^*)

  • ぶだい 2020年03月15日 21:52

    > Non.さん

    歴史は面白いですよ
    学校の歴史はつまらないですが
    自分で考えてみるとかなり楽しめますよ

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