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子どもの心に光を灯す 日本の偉人の物語

2015年10月21日 23:50

白駒妃登美氏の著書を紹介。


子どもの心に光を灯す 日本の偉人の物語
■白駒妃登美 (著)

本書は子供向けとなっていますが、大人の方でもヒントが満載の一冊です。
利他の温かい心がたっぷり詰まった歴史上の物語が満載です。
非常におススメな一冊です。
それでは特別に参考になった話を紹介していきます。


伊能忠敬は、日本で初めての実測地図を作りました。
忠敬は、50代になって地図を作るために、測量の旅に出ましたが、その前は商人をしていました。
17歳で、造り酒屋・伊能家の婿養子となり、以後30年以上も、商売に勤しんでいました。
伊能家は、地元の名家でしたが、忠敬が婿養子に入った頃は、商売がうまくいかなくなっていて、倒産寸前だったそうです。
作り酒屋というのは、お米を仕入れてお酒を造り、作ったお酒を販売します。
お酒が売れて、初めて儲けが生まれるのです。
ところが忠敬は、従業員を集めてこう伝えました。
「うちの儲けにはならなくていいから、お客様に喜ばれること、お客様のお役に立てることがあれば、何でもやってあげてください」
忠敬からの指示を受けた従業員は、お客様が買いに来るたびに、「何か困ったことはありませんか?」と、きくようになったそうです。
そして、
雨漏りがする」「戸の開け閉めがしにくい」などの声をお客様から聞くと、伊能家の従業員は、手が空いた時間帯にお客様の家に飛んでいき、問題を解決してあげたのだそうです。
すると、町で口コミの噂が広がっていきました。
「どうせお酒を買うなら、伊能さん家がいいわよ」
この口コミの影響で、少しずつですが、伊能家の経営は上向きになっていったのです。
そして、およそ10年後、崖っぷちだった伊能家はすっかり立ち直り、経営に何の心配もいらなくなりました。
やはり、利他の精神が大切ですね。
そうすることで、返報性の原則が働きますね。
「何かあったら○○さんに恩返ししよう」と覚えておいてもらえるのです。

幕府や他藩の洋式工場が、製鉄、造砲、造船など、軍事色の強い分野に限られているのに対して、薩摩藩が手掛けた事業は、これらに加え、薩摩切子と呼ばれる美しいガラス製品薩摩焼に代表される陶器、紡績、製薬、印刷出版、電信、写真食品、それにガス灯の実験など、多岐にわたっていて、庶民の生活に密着したものが実に多いのです。
薩摩藩では、藩主島津斉彬が次のように考えたのです。
独立を守るためには、軍艦大砲が必要不可欠である。しかし、軍艦大砲だけでは、国は守れない。
軍艦大砲よりも大切なのは、国民みんなが力を合わせ、気持ちを1つにすることだ。
そのためには、人々の生活が豊かでなければならない。
国中の者が豊かに暮らすことができれば、人は自然とまとまる。
人の和は、そんな城郭にも勝る」
人々が、その日の食べ物にさえ事欠くような貧しい暮らしをしているのであれば、国民が心を1つにして外国に対抗するのは難しいでしょう。
産業の育成や社会基盤の整備を行なえば、人々は安心して暮らせるようになり、同時に、西洋諸国とも対等な関係を築くことができるはずです。
そしてそれこそが日本の独立を守る道なのだと、斉彬は考えたのです。
薩摩を、そして日本を豊かにしようと考えた斉彬は、苦労に苦労を重ねてつくった集成館に、諸藩の人々を招き、薩摩藩の技術を公開し、それぞれの藩に帰って同様の洋式工場をつくるように提案しました。
未来の日本のためには、日本の隅々にいたるまで、すべての地域が情報や技術を共有し、近代化することが望ましいと考えたからです。
幕末といえば、まだまだ「日本国」という意識がうすく、藩が一つの国のように考えられ、それぞれが自分の藩の利益主張し、いがみ合っていた時代です。
そのような時代に生きながら、斉彬の考えや行動は、すべて「未来の日本のため」「人々の幸せのため」という思いが起点となっているのです。
(P66~68引用)
上の人だけがいい思いをするのではなく、藩の人全員が幸せにならなければならない。
いや藩だけでなく、日本国の全国民が幸せにならなければならない。
そのように考えた島津斉彬の下だから、西郷隆盛大久保利通などの英雄が誕生し、文化的にも経済的にも豊かな藩になったのでしょう。
部分的な繁栄(部分最適)だけでなく、全体的な繁栄(全体最適)を目標にする。
かつてリーダーとして自分の部署だけのことを考えて、失敗した私には、全体最適のこの考えは非常に共感できます。

織田信長が惚れ込み、豊臣秀吉が恐れた男。
蒲生氏郷は、武芸に優れ、教養も豊かで、人の心をつかむのが抜群に上手い名将で、戦国最強と謳われていました。
氏郷は、領地領民を愛し、家臣を大切にしていました。
氏郷は、財産を惜しまず家臣に分け与えましたが、それは彼が次のように考えていたからです。
「家臣にとって、給与と感謝は車の両輪のようなもの。両方を上手く転がしていかないと、家臣は付いてこない。
たとえ給与を多くしても、感謝の言葉を掛けなければ、家臣の心は主人から離れていく。
逆に感謝の言葉ばかり掛けて、給与に配慮しなければ、これも同じことであり、どちらが欠けても家臣の心は主人から離れるものだ」

このデジログへのコメント

  • SYUZO- 2015年10月22日 07:22

    良い話てんこ盛りで
    面白そうですね
    (  ̄▽ ̄)
    探してみようかな
    (  ̄▽ ̄)

  • なな♪ 2015年10月27日 02:01

    SYUZO-さん:ぜひ♪興味もったのを読むのが一番です(*^^*)

  • なな♪ 2015年10月27日 02:03

    克己さん:こちらこそいつもありがとうございます(^^)

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