- 名前
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- もう海外在住29年、定年もそろそろ始まり、人生のソフト・ランディング、心に浮かぶこと...
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インゼル・ホンブロイヒ美術館 Museum Insel Hombroic
2006年08月15日 10:42
http://www.dnp.co.jp/artscape/reference/artwords/a_j/insel_hombroich.html
http://www.inselhombroich.de/main.htm
上の説明にある美術館群、というか広大な公園に中に所蔵品を展示した大小の建築物が点在してそれを順番に巡っていく趣向である。 デユッセルドルフ郊外の町外れの田舎道をあるかないかの道標を捜しながら10時ごろやっとのことでたどり着いた。 途中、オランダ、ドイツ国境近くのトラック運転手専用のカフェーでコーヒーを飲んでその時にひっそりとした店内の装飾に異国に来たという雰囲気が感じられたものの高速道路から見える風景は依然としてのっぺらとした田園風景だった。
かなりの広さの駐車場には5台ぐらいしか乗用車が停まっておらずひっそりとして、ここにはバスも来ないのだろうから車でなければわざわざ来るような暇人はあまりいないのかもしれぬ。 ドイツ人の年寄り、散歩がてらの子供を含めた家族連れ、美術愛好家ぐらいしか来ないに違いない。この駐車場からはこのあとの広大な敷地を想像する事はできない。
オランダには前世紀初頭のコレクターが、印象派からキュビズムを経て現在に至るものを集めたものを基にして展示している国立公園の中にあるクルロミュラー美術館があり世界中から参観者を集めているが、ここもそのような趣が多少ともないとはいえない。
しかしオランダのその美術館とは逆にその社会に対する思想というものが多少とも感じられるのは展示物の種類、入れ物とこの有機的な空間である。 建築に対する比重が大きいのも特色であろう。それにぶっきらぼうなほど作品群にたいする説明がそっけない。 受付のところにおいてある簡単な順路の説明は展示物の概要を示したもので詳しくは歩きながらそれぞれの展示物を観て説明をみよ、ということなのだろうがその場に行くと最小の情報が最小の展示方法で置かれているだけである。 順路を追っているうちに作品自体の印象が強く残り作者の名前がはるか後ろで霞んでいるといった風で、作品だけにに向かい合えるという意味では、作家と作品を巡って「教育的」な学芸員の饒舌を見ないで済む本来の正当な展示ではある。
全体に眺めると戦前からの社会主義的傾向が見られるような匂いもするのであるがブルジョワの集めたものでもあり、そうとは簡単には片付けられないものなのだろうが、世間に溢れている商業主義を廃する姿勢を見せ、文化・芸術コンミューン的なものをはっきりと表に出すところでは戦前戦後のドイツ的な匂いもする。
というのは、先年なくなった私の友人、日本人の陶芸家は同じくドイツ人の旧貴族・外交官が文化、芸術に貢献するために設立した財団の講師として亡くなる前の数年間毎年何ヶ月かミュンヘン近郊の芸術・文化村に滞在して製作、ゼミナーの講師を勤めていた。 そこではドイツ社会のテクノクラートたちに陶芸実習を通して心理療法を行うという名目の講座なのだと講師本人もその題目に驚いた風だったらしく概要を聞いたのだが、その財団の文化村ではエリートのネットワークを通じてさまざまな催物がなにも変哲もない田舎にある財団が所有する村でおこなわれているのだという。 この国にはそのようなエリートのパトロンが自分の所有物を基にして社会の或る層に還元すべく大衆におもねることなく芸術・文化を通じて社会改革につなげる、というような、言わばエリート社会主義的な匂いも芸術・文化振興の面で見られるのである。 けれど、それはあくまで財団の経済基盤が保障されているからこそであって弱くなれば瞬く間に政府の文化政策に巻き込まれるか大衆におもねる拝金経営を強いられることとなる。
この美術公園の入園料にはカフェテリアでの食事も含まれており菜食の質素なものでありいくつかある簡単なメニューから自由に選ぶことが出来るものの皆がほとんど同じものを摂るということになるのだが、世界に数多ある美術館の食堂とはかなり質を異にするので日本からの団体美術観光客には戸惑いを与え、なじむまで多少とも時間がかかるに違いない。 世界各地から常時芸術家がこの敷地にある地区に家族連れで済み、工房で製作に励み、昼にはここに来てこの場所で来館者と同じものを摂るらしいのだがあちこちで食事をする人々を眺めていてコンミューンに来たという想いが久しぶりに甦ってきた。 現に30年代風の大農家の納屋か教会か集会場にも見える機能的ミニマリズム木造建築物は実際に使用されている多目的ホールだったのだ。 300人はゆうに入る開けっ放された無人の空間には舞台とも演壇とも見える1mほど高い床にはアップライトのピアノが置かれていたのみだった。その裏にはここで生活する子供達の託児所が配置されていた。
このカフェテリアの次のパヴィリオンに入ってスケッチ、水彩、エッチング、リトグラフと軽量級のものを展示してあるものを見て驚いた。 世界の芸術家のものである。 デューラー、レンブラントに始まってブランクーシ、ミロ、セザンヌ、マチス、ピカソ、ルノアール、ゴッホ、モジリアーニなどがほとんどがらーんとした空間に配置されているだけである。 安全対策は採られているのだろうが数年前に訪れその一週間後にか盗難にあったムンクの作品を納めてあるオスロの美術館の盗みやすさに比べても見た目には比べ物にならない開けっぴろげである。 採光には考慮してあることは確かなのだが照明は一切なく場所と天気によっては鼻がガラスにつくくらいに近づけなければ見えないぐらいだ。
建築家の作品になるいくつもあるパヴィリオンの展示物の大抵は古代からに始まり1920年ごろからが主要なものであるのだろうがこのパビリオンでは突然我々でも知っている世界の大家の作品が無造作に並べられているのを目にすることが出来、全体のバランスからすればここに一緒くたに寄せ集めたという感もしないのではないが、これによって1900年代からの作品に重点を置きながらもここのコレクションの幅の広さを目にするのである。 1980年代の日本ではこのなかの一つか二つを基にして大きな美術館を急造する勢いがあったように記憶するがそれはもう遥か過去のように思えるが、それを思わせるような建物を一つ観た。
http://www.langenfoundation.de/phpwcms/
何週間も前にドイツのケルンにも拠点を置く美術主体の出版社から出た大部の写真集を古本屋で1時間以上立ち読みした。 大部であるのだから手に長く持っているわけにもいかず、午後の静かなオランダ全国チェーンの古書店の美術セクションで展示してあるものを見たわけだが、それが建築家、安藤忠雄の作品集で、かなり贅沢な製本になっていた。
打ちっ放しのコンクリートで簡素かつ機能的な建築で著名な建築家なのだそうだ。 集合住宅、四国にある寺、明石の海岸に近いブロック個人住宅、司馬遼太郎記念館の収蔵庫、などなど写真をみた記憶が今も残っているが、そういえば2年ほど前に帰省した折に子供達と大阪の海遊館に行き近くにあるサントリー美術館の建物が安藤の作だったと気がついた。工業デザインの展示があり映画館が幅をきかせている様な感があったがそのなかのレストランと大阪港を望むカフェテリアの造りが普通の建物とは違うという印象を与えたぐらいだった。
何ヶ月か前に新聞の芸術欄にNATO軍事機構の払い下げ空間であるこの公園の旧ロケット発射場に2年ほど前に日本人建築家の作品として日本の美術品も納めてオープンした建築物の紹介があり興味深かったので先の古本屋での立ち読みと相まってヴァカンスのついでに見物しようと計画していたのだった。
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