- 名前
- なな♪
- 性別
- ♀
- 年齢
- 42歳
- 住所
- 神奈川
- 自己紹介
- 下ネタは受け付けてないのでメール頂いてもそれに関してはお返事できないかも。 メールや...
JavaScriptを有効にすると、デジカフェをより快適にご利用できます。
ブラウザの設定でJavaScriptを有効にしてからご利用ください。
いい話(その場を見てた方は感動したんじゃないかな)
2011年01月03日 17:07
井上怜奈さんという方のお話(勿論私の話じゃありませぬ)
4歳の頃、喘息を発症し、父が何か運動を、と思い
自宅近くにリンクがあったのでスケート競技を開始。
90、92年に全日本ジュニア選手権を制覇し、
中学3年にしてアルベールビル五輪に出場。
日本人最高の14位に入った。
94年には、リレハンメル五輪と世界選手権にシングルで出場
日本ではトップレベルの選手だった。
長野オリンピックのシーズン始め、当時40歳代半ばの父を肺癌により失う。
日本代表選考争いにも敗れる。。
一時はスケートを辞めていた時期もあった。
スケートを再開し、渡米した後も苦難は続いた。
レッスン代と生活費捻出の為、土産物屋さんやお寿司屋さんでアルバイトをしていた。
充分な衣装代も無く、自身で裁縫した衣装で出場した大会もある。
渡米後、肺がんになるが
幸いにも抗がん剤治療をもって完治する。
この治療も入院することなく通院で済ませ、抗がん剤の副作用に耐えながらアルバイトとレッスンを続けた。
この通院治療中のレッスン中、誤って落下し頭蓋骨を骨折。
意識不明の大ケガをし、後遺症で心的外傷後ストレス(PTSD)に悩まされ、更には卵巣を片方破裂させて卵巣摘出する事態となり、辛い闘病生活を送っている。
しかし、井上は終始一貫病気などを一切言い訳にせず、練習・競技に打ち込んだ。
そんな井上を理解し共に競技生活を歩んできたのが、
ペアの「ジョン・ボルドウィン」。
二人の生きる姿と人間性は、感動的なストーリーとして、多くのメディアが取り上げた。
2007年世界選手権を最後にアマチュア引退を発表したが、引退を撤回し現役続行を宣言。
2008年全米選手権で復帰を果たし、2位となった。
このときフリースケーティングの演技終了後
氷上でパートナーの『ジョン』からプロポーズを受ける
プロポーズの言葉
「怜奈と会わなかったら今の自分はない。
これからの人生もいっしょに時間を過ごしたいから
結婚してくれますか?」。
このウラログへのコメント
こんばんは~このプロポーズのシーンは日生のCMに使われてましたよね~心に残る印象的なシーンでした
言う方も悩むだろうな。言われた方もまたキツイ筈。私も癌が多い家系だからよく考えます
ふたりともそれぞれ考えたことは違うのだろうけど、多くの悩みや苦しみを乗り越えた結果は素晴らしい。
そうですよね。病気乗り越えていくとこも旦那さんになった人見てたんだろうな
コメントを書く