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ファースト

2006年01月21日 23:19

ファースト

インプレッション










これが大事だと物の本では言う。
だが、
だからといって第一印象に固執してしまう人は
哀れである。

あの人はああいうタイプだとか

カテゴライズするのも大変危険である
十人十色という言葉がある。
同じように見える色でも
まったく違うのである

カテゴライズすると安心する
あれはああいう人だったんだから私は悪くないんだ
ということだ

私は正常で、向こうが異常だった

これで精神の安定を保つわけだ
探究心や、自己反省が無い世界
それがカテゴライズの世界だ

そういう人って居るよね

と、虫唾の走る台詞を言う人が居るが
私はこういった適当台詞を吐く精神が嫌いです
その人そのものに嫌けがするのではなく
そう言わされてしまっている精神構造を作っている
現代について非常に憤るのです。
「あぁ、言わされてしまっているなぁ」と思うのです
自分の観念(ものさし)、で物事を見て
満足している
自己正当化、他者批判、責任追及
頭が痛くなる

訳知り顔で自分の観念に依って物事を裁きまくる

情けないことだ



私はあるがまま存在したいと思っている
居るまま私である
私について裏を読んだり、何を考えているのか
分析しても意味が無い
そこにあるものが真実だからだ
しかし、世間にせこいやつが多いからか(マスメディアの思うままだ)
それが信用ならないとみなはおもうだろう
何も隠さず居られるわけが無い
嘘をつかずに居られるわけが無い
思ったことなど言えるわけが無い
そう思う人も多いだろう
そう思う人はそれでかまわない
どうせ、
私を理解できまい
そう思う人は同じく細かいことを隠して
くだらない会話の駆け引きをしたいような人を見つけて
内容の無い形だけの居心地の良い会話を
して居ればよい
それを批判したりはしない、そんな乾いた会話を見て
私は哀しむだけだ。
駄目だとか直せとかそんな大それたことは思わない
ただ、本当に「あなたと会話がしたかったなぁ」と哀しむだけだ

自分の価値を自分で認めてあげられない人はかわいそうだ

世界は一人の人間を特別に差別したりしない
差別しているのは自分自身だ
そんなことわかってると思うが書いてみました

相変わらず人に読んでもらうような文章ではないですが
読んでくれた人ありがとう
私と会話するとこんな風にどんどん話が飛躍して
訳わかんなくなるかもしれませんが

それはどういうつながりなのか?

と質問してくれればそのつながりを説明できます
ので話においていかれそうになったらこまめに質問してみてください
きっと最後には
納得していただける自信はあります

興味のある方はスカイプや電話で話してくれると私は非常に喜びます
チャットももちろん歓迎ですがね!!

写真クーポンは保存してプリントアウトすれば
白黒で使えますこれでフィレ5個食べたわけですなww
1枚で3個まで買えます
まあ使ってみてください(ノ´∀`*)



コメントへのお返事、お礼

1月21日 まななつさん、こだわりはあっていいと
       思います!それを誇ったり、
       こだわりがない人を罵倒したり
       する、
       拘り信者見たいのがいるのが
       問題ではないかと思っています
       拘りはコンプレックスと同じ意味で、
       そんな大したことではない!
       よもや自慢したりするものではない!
       という考えです
       拘りを解きほぐして、消化して
       拘りに囚われないで
       拘りを利用して生きて行くのが
       楽だと思います
       臨機応変が楽

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