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石上神宮

2020年04月11日 15:52

石上神宮

御祭神
 主祭神
 布津御魂大神神武東征の際に高倉下より賜った神剣「韴霊」の霊威)
 布留御魂大神(十種瑞寶)
 布津斯魂大神(天羽羽斬剣・十柄剣の霊威)
  配祀神
   宇摩斯麻治命(饒速日御子)
   五十瓊敷命(垂仁天皇皇子
   白河天皇(七二代天皇
   市川臣命(孝昭天皇後裔・布留の宿禰) 

布津御魂大神
フツノミタマ、磐余彦(神武)が熊野の神邑(現新宮市)から現勝浦あたりに進軍した際に丹敷戸邊という地元の勢力に勝つが全員が毒に冒され、高倉下から与えられた「韴霊(フツノミタマ)」により難を逃れた。その時の霊威。
布留御魂大神(十種瑞寶)
フルノミタマ、先に挙げた十種神宝で奥津鏡・辺津鏡・八柄剣・生玉・足玉・反返玉・道返玉・蛇比禮・蜂比禮・品物比禮の十種類の瑞寶
布津斯魂大神(天羽羽斬剣・十柄剣の霊威)
フツシミタマ、素戔嗚尊が八岐大蛇を退治した際に使った剣の霊威、この剣は天羽羽斬剣といいこの剣で八岐大蛇尻尾を切った際に手に入れたのが天叢雲剣で後の草薙剣

五十瓊敷命(垂仁天皇皇子)は剣を千振り作り石上神宮に奉納した者
市川臣命(孝昭天皇後裔・布留の宿禰)は石上神宮神官であり布留という姓を賜った者


石上神宮という名称が日本書紀び初めて書かれるのが垂仁三十九年に上記が五十瓊敷命が剣千振りを納めた時である。そしてその時に五十瓊敷命が石上神宮の祭主となるが翌年には退き物部十千根大連に任せそれ以降物部氏が斎主となる。この時興味深い一節が直ぐ次に書かれている。
丹波国の桑田村で飼われていた犬が獣を殺しその腹から「八尺瓊の勾玉」が出てこれが石上神宮にあると書かれている。日本書紀に三種神器の「八尺瓊の勾玉」を物部氏が管理していたということである。

古代において神器の類いは石上神宮で祀るのが慣習であった可能性がある。

そして神功皇后の時代に百済より献上された「七支刀」がずっと秘匿されていた。
石上神宮には禁足地があり明治に入り発掘調査されその時に埋納されていたのが発見されている。
今年は日本書紀編纂千三百年にあたり念頭に東京出雲大和という展示会か有り
七支刀が展示されていたこれを見るためにだけにわざわざ見に行きました

この事をしても石上神宮の重要性が分かるかと思う。
七支刀は明らかに祭祀の道具であり、石上神宮の祭祀がいかに重要だったのかも分かる。

そしてその祭祀は先に書いた十種祓え詞の祭祀だろう

十種神宝を使い「ひふみよいつむななやここのたり」と唱え瑞寶を振り揺らすという実にシンプルなものである。病を治すどころか死人も生き返らす呪術なので古代のものであることは間違いないと思う。

いま全国の神社で挙げられている祝詞は中臣の祓えでるいわゆる「大祓詞」
この大祓詞を読むと分かるのだが隠されている一節がある
どのようなものか
罪穢れを祓う為に
天津祝詞の太祝詞事を宣れ」とあるが肝心の其の太祝詞事が失伝されている
しかし
「ひふみよいつむななやここのたり」がそれであるという説がある

次に石上神宮大神神社について少し書きます

このデジログへのコメント

  • ネコマルver2 2020年04月11日 21:09

    勾玉で八尺サイズ!ってこと?
    昔の技術、ホンマにあったのか?と。

    不思議で難しくて分からない事が多いのぉ。

  • ぶだい 2020年04月11日 21:54

    > ネコマルver2さん

    不思議で分からないから面白いんですよ
    八は八卦です、易経で陰陽道の思想から膨らませたんだと思いますよ
    一般の人が思っている以上に技術力や創造力は凄いですよ

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