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祓えことばのざっくりな口語訳

2020年04月01日 15:30

高天原にいらっしゃる神々がお持ちであった
十種神宝を饒速日命に与え以下のように伝えた
汝はこの十種神宝を持って豊葦原の中國に行き
大切に戴き護り、もし病となった時はこの十種神宝を用い
「ひふみよいつむななやここのたり」と唱えよ
さすれば病の重き者も回復し健康となる
そして饒速日命は河内にある斑鳩の峯に居を構える
その後大和の山辺にある布留に
石上神宮に鎭め齋き祀る
代々神々達より与えられ教えられた事を布留部の神事とし祀りました
この十種神宝とは
沖津鏡 辺津鏡 八握剣 生玉 足玉 死反玉 道反玉 蛇比禮 蜂比禮 品物比禮のことを言い
この十種神宝を布留御魂神と尊み敬まひ齋き祀る事となりました
このことが災害や様々な病があっても
布留の神事としてそれらを除き祓い、樹木が生い茂るかのように
人々の生活を守り幸多き世となるように
恐れ多くも祈念致します

う~ん、本当にざっくり、一応意味は通ってるかな?

饒速日命が大和に国を造る際に十種神宝があり
その霊異をもって災いなき国として常に信奉し民に安寧な地となる。

まず十種神宝
①沖津鏡 辺津鏡 は「鏡」
②八握剣 は「剣」
③生玉 足玉 死反玉 道反玉 は「宝玉」
④蛇比禮 蜂比禮 品物比禮 は恐らく完全に失伝しているため何だかと特定は出来ない

歴史アカデミズム神武以前に饒速日王朝が存在していたであろう事実を完全に抹殺している
記紀編纂時にも意図してなかったことにはしているが神武東征時に大和入りする際に
事実として饒速日達勢力によって容易に入れなかった事は素直に読めばよく分かる
先ず現在の難波に到着するも饒速日勢力に抵抗にあい
次に現和歌山市あたりでは別の現地勢力によりそこからも上陸できなかった
次に和歌山新宮市上陸するもかなりの苦戦を強いられたことが描かれている
ここから何らかの勢力を味方につけ経路は不明だがなんとか現奈良県宇陀市までやっとたどり着く
その宇陀でも苦戦を強いられるが桜井市橿原市に入り勝利し神武即位し初代天皇となる

沖津鏡・辺津鏡は丹後一宮にある籠神社に伝世されているが事実か否かは分からない
しかし沖津鏡は後漢時代の物で辺津鏡前漢時代の物でいずれも丹後国造家の海部氏に代々伝わる鏡で
現在国宝や重文とされている鏡は皆出土した考古物だか、これらはどの銅鏡よりも古く伝世されてきた物にもかかわらず国宝はおろか重文にすら指定されていない。卑弥呼以前なのに。

この十種祓えことばが今でも残っている唯一の
御魂鎭の作法であり物部鎮魂法とされているが古代のものがそのまま残っているとは思えない

また近年のスピリチャルブームで色々ネットでは書かれているが皆怪しいのでそれには触れない

さてかなりずれたが本題に戻ります

つづく

このデジログへのコメント

  • ネコマルver2 2020年04月01日 21:03

    へー(´∀`)そうなんや~と、いつも思う。
    実際にタイムマシンに乗って見てみたい。
    どんな思いでみんなが暮らして、神々は何を想っていかさたんやろ。

  • ぶだい 2020年04月01日 22:08

    > ネコマルver2さん

    本当にそう思いますね
    その時代時代によって人々の考え方や捉え方は全く違うことは間違いないので
    実際に眼で見てみたいですよ、ほんと

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