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縁というもの
2005年09月21日 13:09
日本語っていいなあ、とか思う瞬間がある。
枕詞とか言霊だとか。ま、それとは全然関係無いんだけども。
で、縁。「縁というものは」って書くと「不思議なもので」って続く。
実際地球上の人間の数に対して、ただ道ですれ違うだけの人であっても明らかに少ない。その中で視線を交わしあい、言葉を交わしあい、心を交し合う人ってどれくらいいるのか・・・。
ただの顔見知りだったり、友人だったり、恋人だったり
その関係が近くなればなるほど、心を交し合う度合いも高くなる。
困難なことも多くなるけれど、喜びもまた増える。
そういう関係になること自体、「縁」抜きには語れないんだけど・・・
なぜだかわからないけど、近くなれば近くなるほど「縁」の意識は遠のくのに、やっぱりそれは縁に支配されているとでもいうか、切っても切れないものにもなってくような気もする。
『袖擦り合うも他生の縁』っていうことからも、例えば前世(輪廻転生思想を前提として話してますが)で、すごく仲が悪い関係であったとしても、縁はあるんだろうなあ、とか。
喧嘩ばっかりするけど、すごく好きで、ずっと一緒にいたくても、いろいろな障害があってなかなか二人の関係を築いていけないとか、逆に、離れようと思っても、偶然が偶然を重ねて、意志とは裏腹になぜか一緒にいるという関係とか、そういうのも前世(ていうか他生)の縁なんでしょうかね。
でも、縁も今生で変えていけるはずですよね。その縁を生かすも殺すも自分次第というか…。
「小才は縁に出会っても縁に気づかず 中才は縁に気づいても縁を生かさず 大才は袖すりあった縁をも生かす」
この言葉を胸に、これからも生きていきたいと思ってます。
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