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いても、いなくても、同じ。「神様」

2015年01月03日 21:21

いても、いなくても、同じ。「神様」

あけましておめでとうございます
本年も、よろしくお願いしますっっ!


窓の外を見れば、雪が風に舞っている、そんな日に。
ずーっとずーっと暖房をつけたことのない、冷えきった部屋で。

ふんふんふんふん! と、いつもの筋トレをして。
背中を触って、じんわりと汗が浮かんでいるのを確認して。

「っしゃあ! 今日もしっかり鍛えてるぞ私ぃ!」
と満足して、風呂に入ってくつろいで、そして就寝。

そんな正月を送っております、けーでぃーです。
皆様も、寒いからと縮こまり、身体の練磨を怠りませぬよう。
美容と健康の道は、弛まぬ修行の道ですぞ。


では今回の本題へ。
神様を、信じるか信じないか。私はこれ、どっちであろうと
行き着くところは同じである、と考えています。

だって。
神様というのが本当に、人間もそれ以外の生物も、大地も海も、
全てを創造した偉大な存在、とかそういうものならば。
信者とそれ以外の区別、すなわち「俺様のことを尊敬しているかどうか」なんていう、
人間臭い思考・名誉欲を、持っているはずがない、と思うからです。

むしろ。
例えば、テストでいい点を取りたい時、あるいはマラソン大会の順位を上げたい時。
ただ座り込んで、ムニャムニャと祈っている人よりも。

必死になって机に齧りつき、問題集に取り組んでいる人とか、
毎日毎日、汗まみれになって走り込んでいる人とか。

神様なんかに甘えずに、自分の力で頑張っている人にこそ、
その本人にも気づかないところで、そっ……と力を貸してくれる。
神様が本当にいるのなら、そういうものではないでしょうか?

神様はきっと、一生懸命努力している僕を見ていてくれている!」
これこそ、「真摯に神様を信じている人」の姿ではないでしょうか?

だから。
神様を頭から否定して、
「頼れるのは自分の力、鍛え抜いた己の実力のみ! さぁ今日も修行だ!」
という人と、結局やることは同じになるのではないか、と。

神様に頼らず、甘えず、自分に厳しく、物事に真剣に取り組む人。
その弛まぬ努力が積み重なった時、神に通じる(かのような)力が
発揮される。

古来よりそれを、日本では「神通力」と呼称してきた……のかもしれません。


☆☆んで☆☆
これを、「かみとおりのちから」と読ませてた漫画が昔、ありましてね。

「できると念じる力が、『念力』となる!
 思いが神に通じれば、『神通力』を生み出せる!」

かっこいい~!
こういう漢字の使い方って大好きなんですっっ!

このデジログへのコメント

  • はぎんちょ 2015年01月03日 21:39

    明けましておめでとうございます
    神頼みじゃなく、努力してその結果神様がご褒美をくれるという感じですね

  • けーでぃー 2015年01月03日 21:51

    > はぎんちょさん

    本年もよろしくお願いします。そして、そう! その通り! 「天は自ら助くる者を助く」です。
    この言葉は聖書ではなく西洋の諺だそうで、やはり祈るだけの人より、努力する人こそ、ですね。

  • eri 2015年01月04日 00:31

    小学生の時に○○○○教信者だった同級生に

    信じないと救済されないと脅されて、なんじゃそれと…

  • けーでぃー 2015年01月04日 21:26

    > eriさん

    子や孫の幸せを願わぬ親などいないように、
    「子孫」の繁栄を願わぬ「先祖」なんているわけがない。
    先祖供養が足りないから不幸とか、そういうのも合わせて、全くただの詐欺ですね。

  • けーでぃー 2015年01月05日 21:53

    > nana819さん

    「病は気から」とも。祈ることで精神が安定して実力を100%発揮できるとか、
    ポジティブになれるとか、そういうことであれば、「神頼み」はちゃんと現実に価値があると思います。

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