- 名前
- けーでぃー
- 性別
- ♂
- 年齢
- 49歳
- 住所
- 奈良
- 自己紹介
- 「元」がつきますが一応プロの小説家。現在、 カムバック目指して修行中です。 そんな私...
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いても、いなくても、同じ。「神様」
2015年01月03日 21:21
あけましておめでとうございます。
本年も、よろしくお願いしますっっ!
窓の外を見れば、雪が風に舞っている、そんな日に。
ずーっとずーっと暖房をつけたことのない、冷えきった部屋で。
ふんふんふんふん! と、いつもの筋トレをして。
背中を触って、じんわりと汗が浮かんでいるのを確認して。
「っしゃあ! 今日もしっかり鍛えてるぞ私ぃ!」
と満足して、風呂に入ってくつろいで、そして就寝。
そんな正月を送っております、けーでぃーです。
皆様も、寒いからと縮こまり、身体の練磨を怠りませぬよう。
美容と健康の道は、弛まぬ修行の道ですぞ。
では今回の本題へ。
神様を、信じるか信じないか。私はこれ、どっちであろうと
行き着くところは同じである、と考えています。
だって。
神様というのが本当に、人間もそれ以外の生物も、大地も海も、
全てを創造した偉大な存在、とかそういうものならば。
信者とそれ以外の区別、すなわち「俺様のことを尊敬しているかどうか」なんていう、
人間臭い思考・名誉欲を、持っているはずがない、と思うからです。
むしろ。
例えば、テストでいい点を取りたい時、あるいはマラソン大会の順位を上げたい時。
ただ座り込んで、ムニャムニャと祈っている人よりも。
必死になって机に齧りつき、問題集に取り組んでいる人とか、
毎日毎日、汗まみれになって走り込んでいる人とか。
神様なんかに甘えずに、自分の力で頑張っている人にこそ、
その本人にも気づかないところで、そっ……と力を貸してくれる。
神様が本当にいるのなら、そういうものではないでしょうか?
「神様はきっと、一生懸命努力している僕を見ていてくれている!」
これこそ、「真摯に神様を信じている人」の姿ではないでしょうか?
だから。
神様を頭から否定して、
「頼れるのは自分の力、鍛え抜いた己の実力のみ! さぁ今日も修行だ!」
という人と、結局やることは同じになるのではないか、と。
神様に頼らず、甘えず、自分に厳しく、物事に真剣に取り組む人。
その弛まぬ努力が積み重なった時、神に通じる(かのような)力が
発揮される。
古来よりそれを、日本では「神通力」と呼称してきた……のかもしれません。
☆☆んで☆☆
これを、「かみとおりのちから」と読ませてた漫画が昔、ありましてね。
「できると念じる力が、『念力』となる!
思いが神に通じれば、『神通力』を生み出せる!」
かっこいい~!
こういう漢字の使い方って大好きなんですっっ!
このデジログへのコメント
明けましておめでとうございます
神頼みじゃなく、努力してその結果神様がご褒美をくれるという感じですね
> はぎんちょさん
本年もよろしくお願いします。そして、そう! その通り! 「天は自ら助くる者を助く」です。
この言葉は聖書ではなく西洋の諺だそうで、やはり祈るだけの人より、努力する人こそ、ですね。
小学生の時に○○○○教信者だった同級生に
信じないと救済されないと脅されて、なんじゃそれと…
> eriさん
子や孫の幸せを願わぬ親などいないように、
「子孫」の繁栄を願わぬ「先祖」なんているわけがない。
先祖供養が足りないから不幸とか、そういうのも合わせて、全くただの詐欺ですね。
> nana819さん
「病は気から」とも。祈ることで精神が安定して実力を100%発揮できるとか、
ポジティブになれるとか、そういうことであれば、「神頼み」はちゃんと現実に価値があると思います。
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