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神社結婚

2009年09月20日 06:03

タイトルは、トラックバックの関係で結婚という言葉を使いましたが、神社式の結婚式に参加したことないので神道の考えについて書きます。

昨日のキリスト教は、悪いことは神様からの試練であって、神様の試練に感謝する宗教というような事を書きました(正確には ここまで書いていないかもしれません)が、神道の場合はちょっと違います。


神道の場合、多神教です。

その神様は どこにいるかというと、どこにでもいるのです。

一応神社神様は、山頂にいて神様に来ていただく儀式をしますが、八百万(やおよろず)の神というように山の神様が全ての神様ではありません。

神棚がある家には 必ず天照様がいるはずです。

家の中には七福神の他に、水神サマやオカマ様などの神様もいます。

家によっては稲荷様があるでしょう。


自然農を勉強すると、福岡正信さんの神様の考え方に触れることになります。

それは
「自然こそ神」
ということ。

人間のような自分達中心の生活としていると 忘れてしまいがちですが、人間が汚した地球を 自然は自然に戻そうとします。

そして 人間は、その自然から「衣・食・住」全てをいただいています。

ということで、神道では
「自然の神に感謝して生きる」
ということになります。

反対にキリスト教の場合、
「自分達人間がしてきた事(禁断の果実を食べた事)による 神の試練に堪えて生きる」
ということになります。


全然違う感覚ですよね。

でも 最近思うのは、宗教って やるべき事は同じで、途中の考え方が違うだけなのだと思います。

これを書き出したら 長くなるので書きませんが、要するに「利他」の話だと思うんです。


神道の場合は
「周り全てに感謝の気持ちを持ちなさい」
ということで、キリスト教の場合は
「自分を犠牲にして 相手を愛しなさい。」
ということ。

どちらも自己犠牲の話です。

明日書くかもしれない仏教でも、
「大変な事があったとしても それは試練であって苦痛の事ではない。」
と考えると聞いたことがあります。



難しい話になってしまいましたが、やっぱり自分はキリスト教の試練感覚より、神道の自然に感謝感覚の方が 考え方としては好きです。

今日も、結構 自分の偏見があるので、適当に読み流してください。

このデジログへのコメント

  • あや 2009年09月20日 21:37

    八百万の神様がいる、って考え方のが自分に合ってて、だから物を大事にするようにしてます。

  • KEI 2009年09月20日 22:51

    > naoさん

    人によっては、
    「人も自然の一部なので、自然の流れに逆らわずに生きることこそ 人間がとるべき行動」
    という人もいますが…
    これって 仏教の「無」に似ているような気がします。

  • KEI 2009年09月20日 22:57

    > あやさん

    八百万の神の感覚が分かるということは 日本人の心を持っている証です。
    本当に、若いのにしっかりしているね。

  • KEI 2009年09月23日 06:50

    > オレンジさん

    オレンジさんなら分かっていただけると思いますが、感謝というのも 人が作った言葉なので、無意識に感謝をすることこそ 本当の感謝だと自分は思います。

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