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やっと

2006年01月30日 15:09

先週の土曜日、やっとこさ友人とSAYURIを観にいってきた。
で、感想

意味わかんない・・・・・つーか、サユリみたいな女性はちょっと勘弁。


原作を読んだときも感じていた妙な違和感が映画では明確に表現されていて、有る意味なるほど~、だから私あんまり小説のほうも気に入らなかったんだぁ、と納得したのだけれど。

何が一番分けわかんなかったかっていうと、サユリという芸者生き方だよなぁ。
あれじゃあ、わざわざ祇園舞台にした意味ないよなぁ…
なんか私が感じたことを単純に言うと、サユリって単に初恋の人に会いたいから芸者になって、意地悪姐さんに勝つためにトップ芸妓になって、初恋の人の友人を旦那にしたくないからどうでも良い相手と寝てその人にあきらめさせようとして、で、有る意味棚ぼたで初恋実ったよ。それだけだ。って感じですなぁ。
祇園の特殊性とか伝統や格調、品格なんかは全く表現されてなかったよねぇ。
まぁ、監督は一種のパラレルワールド的に描いたみたいだけど、祇園の特徴を表現しないんならなんで舞台をそこにしたんだろう??
ユリが「都おどり」の舞台で主役を演じることになったシーンを、映画でどう表現するのかとちょっと興味津々だったのだけれど、いざ見てみたら失笑してしまった…よく言えば前衛的・悪く言えばお化け鬼女…いやぁ、変な話、もうちょっと大衆受けするようなオーソドックスハリウッド的ショーかなと思っていたので、意表をつかれたなぁ。でもかえって変・・・・まいった

特に納得いかないのが、サユリ初恋の人の友人がサユリ旦那になりたいと言い出し、このままだといやいや彼を旦那にしなくてはならないといった状況になったときに、それを止めさせる手段として他の男と寝てるところをその人に見せる、という方法を取ったことだぁ。映画の中でそれまでに「芸者娼婦じゃない」というかんじの発言が何度か出ている中で(一緒にいた友人は3回あったよと、しっかり数えていた・・・)よりによってその方法を取るとはね。普通の女がその方法をとっても別に娼婦とは言われないだろうけど、芸者がそれしちゃったら娼婦って言われてもしょうがないんじゃない?

なんかねぇ、サユリにある芯は「初恋の人」っていうだけで、その点から見たらストーリーはまあこんなもんなんだろうけど、なにしろそのサユリは「過去類を見ない祇園NO1芸妓」という肩書きがついていて、その点から見たら、芸者としての意気や張りはあんまり見当たらないし、なんでトップ芸者になれたんだかよくわからん??

着物の着方も総じてだらしなかった。。。だらんって感じに見えるときが多くて、きちんと着てるようなのに何でそう見えるのかよくよく見てみたら、襟あわせとか帯の位置とか補正とか襟足の深さとか・・・・・微妙・・・・・・なるほど。まぁ、ハリウッド映画だったらこれでもましなほうか。

白人女性芸者の実態を調べている人がいて、日本に来て自分でも芸者をしていた時期があるという人がいる。名前は忘れたけど・・・CNNだかBBCだかのドキュメンタリーで見たことがある。
せっかくなんだから、そういう人からアドヴァイスもらったりとかすればよかったのにね。
もらっててこういう感じに映画が仕上がったんだったら、それこそしょうもないけど。

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