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ありふれた幸福とありふれてはいない不幸について

2008年05月04日 23:39

ありふれた幸福とありふれてはいない不幸について

おまえなら
どうするのだ?
おまえだったら、
そのありふれた不幸や幸福
どう、むきあうのだ?

詰るような、そんな問いかけを
されているような気がする。

再発があれば、アウト、
そう、言い続けてきたし
最早、治療を放棄する旨のメールが届いたと、
まったく異なる癌患者の友人から
伝わってきた

およそ、二年半、にわたって
病室、
自室
病室、
手術を経、
転地療養先の、
北国の温泉宿
沖縄石垣

どうにか、こうにか、
書き綴り続けてきた、やつのブログ
途絶している。

それは、そうだろう。

心境をたとえるなら、
死刑宣告を受けた、
囚人、そのもの

ロックンローラーを気取り、
いつも皮肉に、他人の幸せに
シニカルな笑いを浮かべていたやつ・・・

未だにやつは、
渡辺勘治に
その冷笑を、浴びせ続けているだろうか?
あるいはその、創造者に
所詮は、癌とは無縁の
健常者の繰言と、
冷淡な視線を
向けているだろうか?

いや、やつはいま、
いきとしいけるものを
呪っているのだろうか?

あるいは、
風もなく
澄み切った空を映す
湖水のごときこころもちを
自らの目で、みつめているのだろうか?

妻帯もせず、無論、子もなく、
身寄りといえば、年老いた母と
二人の子に恵まれた弟夫婦
その彼らと、ともに、
過ごしているのだろうか?


・・・ひるがえって。
わが身をかえりみるならば、

子と、街を歩きつつ、
ふと思う。

神はまた、こんなことも問う

お前の覚悟とは、
なんなのか?
お前の身の程知らずの望みとは
なんだと思っているのか?

と・・・

子と、街を歩く、
そんな、なんでもないことでさえ
数々の、たまたまの幸運に恵まれたものでしかない、
そんなことに、気づく
感謝はしないけれども。
感謝を忘れるべきでは、ないだろう。


あらゆる、お話は、ドラマは、
そんなありきたりな偶然の上に、
成り立っている、わけか。


物をおもわぬひとびとに
物を思わせるための構造

ありきたりな幸福や不幸の
その裏側に潜む偶然を
偶然とは思わせない、構造


全集の、第三巻でもひもといて、
創造の原点を探す旅にでも
出てみようか、などと・・・



怏々として愉しまぬこころをたずさえ
街を歩けば

ランチタイムを終えたとあるメシ屋

いったい何があかしたいのか?
どう、アリバイ主張したいのか?
それはいったい、何の不作為を表しているのか?
犯罪ですか?
あるいは、
ありきたりですけど、
セックス、とかですか?
・・・と、つっこみたくなる看板

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