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古いけど、気になる話を見つけたので
2019年04月24日 00:03
『たんすの奥から出てきた手紙』
名古屋市久夫さん(76)、幼年期に極貧生活をした。
靴がなく、自分で作ったわら草履を履いていた。小学校の卒業式の日に、母親が初めて靴下を買ってくれたのが忘れられぬ思い出だという。
その久夫さんの母親は、67歳で亡くなった。
それから三十数年がたったある日のこと。
五人兄弟が集まり、そのままになっていた遺品を整理することになった。
たんすの小引き出しの奥から何通かの手紙が出てきた。
その一通を手に取り、三番目のお兄さんが「これ何だ」と言うと、書かれた文字を見て一番上のお兄さんが言った。
「久夫の下手くそな字だがや」
それは、久夫さんが小学一年の時に母親宛てにつづった手紙だった。その一部…。
「一ねんせいになりました。おとうさんは、ひらがなをいそいでおぼえると、すぐにわすれるからといって、おしえてくれませんでした。
でも、ぼくのともだちは、ようちえんにいっていますので、みんなひらがなのべんきょうができます。
わたしだけ、ひらがながよめないばかりか、かけません。なきたくなってしまいます。あいうえおがわからないので、きょうかしょも、としょしつのほんもよめません。
でも、おかあさんがおしえてくれることになってから、ゆうきがわいてきたのです。
じがよめるようになったら、とよかわのほんもののおおきなとしょかんで、ほんをいっぱいよんでおかあさんにきいてほしいです」
1947(昭和22)年4月14日の日付。「おかあさん、ありがとう」という題が付いていた。
久夫さんは、その場で手紙を読みながら泣き崩れたという。
「幼いながらも母の苦労がわかっていました。今も母親に感謝しています」と久夫さんは話す。
<中日新聞掲載 2017年3月12日より>
このウラログへのコメント
私は母子家庭で育ちましたが、母を思う久夫さんの気持ちが分かるような気がします。
koujiさん
素敵な親子関係だったんでしょうね(﹡ˆˆ﹡)
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