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心理学の視点から、恋愛と主従(マゾ)の違いを考察してみる

2016年10月15日 14:13

よく恋愛と主従(マゾ)は似ていると思っていました。
でも、何か違う点がある気がしてならなかったです。

恋愛も主従も畏敬の念が必要です。相手を尊敬できること、それは必須である要素だと思います。

また、尊敬するから、相手に尽くすことができる。これも共通点です。

そうすると、「好きな人だからなんでもできる」そのようにマゾを解釈する人もいます。
しかし、それが恋愛ならば、本当にできるのか?
否、好きな人だからなんでもできないのが一般的な恋愛論です。
意見したくなるし、振り向いて欲しくなる。それが恋愛ではないのかと思いました。

自分がここまでで思った、恋愛と主従の違い。
それは、行動の理由を相手に求めるものが恋愛であり、自分に求めるのが主従です。

相手が尽くしてほしいと思っているから、相手のために、自分の尽くした結果によって自分を満足させ、相手の達成欲を満足するのが恋愛。即ち、相手が動機で自分の充実感が望みです。だから、見返りを求めます。

自分が尽くしたいと思っているから、自分のために、自分の尽くした結果によって相手を満足させ、自分の達成欲を満足するのが主従。即ち、自分が動機で相手の充実感が望みです。だから、見返りを求めません。

では、なぜマゾ恋愛と主従を錯覚するのか?

人間の心理について研究している自分ですが、脳の機能には自分を守る機能が備わっています。人間として生まれたからには、自分を正当化したいのです。

恋愛は理性によって染まるものではないのか?と考えました。
自分の行動に理由をつけるために。恋愛一般論であり、ノーマルです。自分がアブノーマルだということを怖れている脳によって理性によって錯覚を起こされてそのような状態に陥ります。
恋だから、この自分の行動は仕方がないことだと。無意識のうちに。脳が言い訳をつくる状態、それが恋愛なのではないかと。

自分のマゾである本能に沿った行動に対する理由を恋愛と紐付ける。すると、抑えきれないものが現れた。厄介な欲が出てきた状態が主従におけるマゾ正当化するための恋愛だと思います。

この状態は、自分が動機で自分の充実感が望みという、1番厄介な状態です。
この状態のときは、恋愛としても主従としても、相手が振り向く要素が存在しないのがわかります。

結論として。

自分の思い通りにならないことでも嬉しいと思う。相手の意思に沿って行動できる状態が嬉しいと思い快感であること。それが、マゾだと思います。

なんだか、アイドルのファンが、アイドルのためにグッズを買い、CDを買うのと似てますよね。

まとめると、以下のどちらにも当てはまらない状態では、恋愛も主従も求められないと思います。

恋愛:
相手が尽くしてほしいと思っているから、相手のために、自分の尽くした結果によって自分を満足させ、相手の達成欲を満足するのが恋愛。即ち、相手が動機で自分の充実感が望みです。だから、見返りを求めます。

主従:
自分が尽くしたいと思っているから、自分のために、自分の尽くした結果によって相手を満足させ、自分の達成欲を満足するのが主従。即ち、自分が動機で相手の充実感が望みです。だから、見返りを求めません。

自分はどうしたいのか?何を求めているのか?思い通りにならない時に考えるヒントになればいいと思います。

まだまだ、認知心理学研究者としては未熟な面がありますが考えてみました。考察、ご意見など頂けましたら、嬉しいです。

追記:
主従パートナーも随時募集していますので、興味を持ってくださりましたら、気楽にご連絡ください。

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