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告白

2014年03月17日 18:06

わたしは、ことしで85になる。後の寿命は両手で余るだろう。

子供たちは、トーに独り立ちして、孫もそれなりにいる。

永年連れ添った家内は5年前、亡くなった。

わずかながらも残されたなけなしの寿命があるうちに、
ドーしても言いたいこと、
ドーしても言わずにおれないことを、
告白しておきたい。

親族、友人知人に、このわたしの告白は目に触れることはないだろう。

わたしのこの告白は、誰かに読まれるために書くのでない。

わたしとゆー他者に向かって、ありのまま、書くのだ。

ありていにいえば、誰にも読まれたくないのだ。

だらと言って、書いた後、燃やすとゆーコト、焼却することは考えてない。

わたしがいなくなった後、誰かの目に触れるなら、それはそれで、
運命であろう。

わたしの告白は、神の手にゆだねたい。


わたしは、一口に言って、幸せであった。

良い女房に恵まれ、良い職を得て、良い子どもが授かった。

人も羨むような、まさに順調満帆な人生であったといってよい。

家内とは高校が同じ同級生で、相思相愛の仲であった。

二人ともよく勉強が出来て、一緒に大学進学した。

家内卒業して、小学校教員になり、わたしは大学に残って研究者の道を選んだ。

そして、25のとき結婚した、そのときは家内の腹に子どもがみごもっていた。

家内は25から30の5年間、実によく働いた、育児と私たちの生活のために、身を粉にして働いた。


研究者とゆーものは、わたしは、まだ、家族を養うほど稼ぎはなく
ほとんどアルバイト講師のわずかな収入しかなかった。
国立系の大学なら助手でも平均的な公務員の給料が支払われるから、
家族は十分養えた。
しかし、私立の大学は、ほとんど、無給に近い。

30過ぎて、助教授くらいになると、やっと、家族が養えるくらいの給料になる。
それでも国立系に比べると、まだまだだった。

わたしもやっと、35になって、助教授になり、研究室モテるヨーになった。
平均的な階段であろう。40過ぎて教授になり、だいたい、800万円くらいの年収になる。
それに講師著作物の収入が加わるから、まがりなりにも、高給取りではないが、
貧乏から縁切れになる。

すると、気持ちに余裕が、でるよーになる。

そんなとき、院生に新しく入ってきた女子学生の指導に当たっていた。
彼女は22歳の利発な顔立ちで、一口に言って、ビジン、であった。
わたしの専門は、西洋哲学で、主にカントを研究していた。
彼女は、どちらかとゆーと、当時はやりの左翼系の思想にかぶれて、
マルクス資本論をやりたがっていた。

むろん、わたしも、マルクス一般教養の範囲でしか、深くは知らない。
ただ、研究の方法や指導は出来る。

原書ドイツ語だから、それなりに共通項はあった。
指導は、まづ、ドイツ語の指導から始まった。ドイツ語が上達してから研究の方法を話し合うことにした。
そして、その前に、ガイドとして、翻訳本をこなしておくことだった。

翻訳本と言ってもそれなりに分量があるから、容易ではない。
わたしも自分の研究があるから、かかりっきりとゆー訳にいかない。

1ヶ月に一度、泊まりがけの集中講義とゆーコトで、2泊3日に研究室にこもった。
おたがい、若かったのだろー、
ソーゆーことが苦にならなかった。

彼女、朝子としておこー、まだ存命で、プライバシーに関わることだから。

若い男と女である、朝から晩まで、風呂にも入らず、買いだめておいた食料を食いながら、
タダひたすらドイツ語原書で、資本論を読んでいた。
仕舞いには、二人とも、おかしくなっていた。

研究室で、気がついたら本に埋もれながら、わたしは朝子と裸で絡み合っていた、

夏の暑い盛りの夕方だった。

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