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ネットの少し印象的な話、3つ
2013年12月02日 23:40
[55年の時を超えて]
日本初のオリンピック出場マラソン選手の金栗四三。
国内で世界記録を20分以上も塗り替えるような記録を出しながらも本大会では日射病で倒れ、行方不明扱いにされてしまった。
日本の期待を一心に背負いながら、それでも走りきれなかったことで、深い自責の念に駆られた。
それでも日本のマラソンの発展のために50年間尽くしてきた。
1967年、ストックホルムオリンピック委員会から「オリンピック55年祭」が開催されるので来てもらえないかという連絡が届いた。
式典後、当時のコースを懐かしげに辿る金栗。
そして55年前にたどり着けなかったスタジアムに足を踏み入れた。
何故かそこには観衆と役員、そしてゴールテープ。
思い出のスタジアムで念願のゴールテープを切った金栗。
『日本の金栗がただ今ゴール。タイムは55年…。ただいまをもちまして、これで第5回ストックホルム大会の全日程は終了しました』
そうアナウンスが流れた時、涙が止まらなかった。
[貧乏旅行]
学生時代、貧乏旅行をした。帰途、寝台列車の切符を買ったら、残金が80円!
もう丸一日以上何も食べていない。家に着くのは約36時間後…。
空腹をどうやり過ごすか考えつつ、駅のホームでしょんぼりしていた。
すると、見知らぬお婆さんが心配そうな表情で声を掛けてくれた。
わけを話すと、持っていた茹で卵を2個分けてくれた。
更に、私のポケットに千円札をねじ込もうとする。
流石ににそれは遠慮しようと思ったが、お婆さん曰く、「あなたが大人になって、同じ境遇の若者を見たら手を差し伸べてあげなさい。社会ってそういうものよ」私は感極まって泣いてしまった。
お婆さんと別れて列車に乗り込むと、同じボックスにはお爺さんが。
最近産まれた初孫のことを詠った自作の和歌集を携えて遊びに行くという。
ホチキスで留めただけの冊子だったので、あり合わせの糸を撚って紐を作り、和綴じにしてあげた。
ただそれだけなんだが、お爺さんは座席の上に正座してぴったりと手をつき、まだ21歳(当時)の私に深々と頭を下げた。
「あなたの心づくしは生涯忘れない。孫も果報者だ。物でお礼に代えられるとは思わないが、気は心だ。せめて弁当くらいは出させて欲しい。どうか無礼と思わんで下さい」
恐縮したが、こちらの心まで温かくなった。
結局、車中で2度も最上級の弁当をご馳走になり、駅でお婆さんに貰ったお金は遣わずじまいだった。
何か有意義なことに遣おうと思いつつ、その千円札は14年後の今もまだ手元にある。
腹立たしい老人を見ることも少なくないけれど、こういう人たちと触れ合うことができた私は物凄く幸運だ。
[だんだん]
「だんだん」とは、山陰の方言でありがとうです。
もう亡くなったひいおばあさんが、よく使っていました。
そのときはあまり感じなかったけど、数年経ってだんだんの温かさが分かるようになりました。
物を取ってあげると「だんだん」、お話しても最後に「だんだん」、何をしても「だんだん」でした。
おばあさんは、すべてに感謝してました。
私には出来ない。
嫌なこともあるのに、辛いこともあるのに。
この凄さを今年、高校に通うようになり理解しました。
今私は、口に出すのは恥ずかしいのでいつも心の中でマネをしています。
嫌なことも忘れ元気がでます。
このウラログへのコメント
久しぶりに心が暖まるログを読ませてもらいましたこのログを書いたななさんにだんだん♪
ズッキーさん:有難うございます嬉しいな~
PANDAさん:ありがとうの気持ちで運転したらいい気分で移動できますね
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