デジカフェはJavaScriptを使用しています。

JavaScriptを有効にすると、デジカフェをより快適にご利用できます。
ブラウザの設定でJavaScriptを有効にしてからご利用ください。

ネットで見つけた凄く悲しいけど響く話:阪神大震災

2013年08月16日 22:42

偶々見つけたんだけど、大事な話だと思ったから


1995年1月16日に戻りたい。
当時21の私と倫子はその日ちょっとしたことで喧嘩をしてしまった。
明らかに私が悪い理由で。
普段なら隣同士で寝るのにこの日は一つの部屋で少し離れて寝た。

17日の朝、大きな揺れがあった。あまりに大きな揺れにあわてている間に、凄い音と共に屋根等が崩れてきた。
運良く私も倫子も無事だった。しかしお互いを確認するのは声だけだった。
二人の間には大きな瓦礫の壁があった。
私は窓の近い側だったので、隣近所の方が瓦礫を少しどけてくれて、自力で出ることができた。
私は倫子を助ける為に近所の方と合わせて4人で瓦礫をどけようと必死だった。
倫子は「真っ暗で怖いけど、私は大丈夫だから」と叫んでいた。

1時間か2時間か、時計もなく分からなかったが、ある程度作業が進んだ。
これなら助かると思った。
しかしその時周りの人が「隣の家から火の手が上がっている」と言った。
隣の家はこちらに傾いていた。
危険だと周りは言った。
皆、ピッチを上げて作業をした。しかしその時、隣の家が崩れてきた。
私も周りも、その場から反射的に離れた。そう、見捨ててしまった。
どのくらいその場にいたのか分からない。ずっとその場にへたり込んで座っていた

「消防はどうして来てくれなかったんだ」「神はどうしてこのようなことをするのか」
「瓦礫をどけ始めた時にもっとうまくやっていれば、助かったんじゃないのか」 「見捨ててしまった・・・」「どうして自分も死ななかったのか」
こんな言葉が頭をずっとめぐっていた。 周りは「しょうがなかったんだ」と言った。気に病むな・・・と。
そんなこと、できるはずがないことは周りも分かっていただろう。
私はその言葉を聞いてから、ずっと泣いていた。
後日、瓦礫の山からともこの骨だけが見つかった。
たった1.5メートルの距離の差だった。
たった1.5メートルの距離の差が「1番大切な人」を失う距離だった。
16日に喧嘩したことが、素直でなかった私が、最も失ってはならない「大切な人」を失う結果にしたのだ。
喧嘩をしていなければ、二人とも助かったかもしれない。
そうでなかったとしても、倫子を一人にすることはなかった。
そして、見捨てることも・・・。
私は1995年1月16日に戻りたい。そして君と一緒にいたい。

阪神大震災
経験をしていない人にとっては分からないことだと思う。
しかしそれはしょうがないことだとも思う。
ただ、これから1月17日阪神大震災の話題が出たときに
今更・・・、とは言ってほしくない。
そういったことがあったことを知っておいてほしい。

そして今恋愛をしている人に。
あなたは大切な人を手放さないで下さい。
今すぐにでも謝れることなら、すぐに謝ってください。
後から後悔しても、すべて戻ってこないのですから


…悲しくなったけど、響いた。

このウラログへのコメント

  • りぶら 2013年08月17日 00:55

    ホント何が有るか分かりませんね

    悔いの残らない毎日を送りたいものです

  • なな♪ 2013年08月17日 00:58

    りぶらさん:ほんとですね一瞬先はわかりません

  • 管理貞操帯 2013年08月17日 06:55

    あの日は、タンスの下敷きでした。
    生きながら、焼け死んだ方々も沢山いらっしゃいます。

  • なな♪ 2013年08月17日 20:32

    管理貞操帯さん:そうらしいですね…

コメントを書く

同じ趣味の友達を探そう♪

  • 新規会員登録(無料)

プロフィール

なな♪

  • メールを送信する

なな♪さんの最近のウラログ

<2013年08月>
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31