- 名前
- カオル
- 性別
- ♀
- 年齢
- 40歳
- 住所
- 千葉
- 自己紹介
- 流れに抗わぬまま ただ惰性に溺れ 人生に揺蕩う 眠れぬ宵に 現の伽を想い 閨所に独り...
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伝道 02 瞑想
2009年12月21日 00:26
伝道の続きです。未読の方は是非前回から。
なんやかんやでお釈迦様は出家します。
そして、二人の師の下で修行しました。名前は別に覚えなくていいです。
一方の師のところでは、存在するものは何もないという境地に至る瞑想を深め、煩悩をなくす修行をします。無所有処というそうです。
例えば。木製の机があります。分解すれば木材です。燃やせば灰です。永遠に机で在り続ける存在は無いんです。
現代的に言えば、全ての物質は原子の寄せ集めです。もっといえば素粒子です。ついでに超ひもです。
膨大な化学反応を繰り返しながらたまたま今目の前に見えている状況があるだけで、実は何もないんだから何も気にすんなってことです。アトムもアートマンも諸行無常で諸法無我です。
ですが。お釈迦様はその教えに満足せずに出て行ってしまいました。
そりゃあそうです。
世界の本質が何でどうなっていようが、今たまたまここに居るように見えている私は苦しむことができてしまうんですから。
次の師のところでは、瞑想の果てには想いもないが想いがないのでもないという境地に至る修行をします。非想非非想処といいます。有頂天と同義らしいです。
もう一度言います。想いもないが想いがないのでもない、です。ややこしいですね。
考えてるようで考えてなくて、寝惚けてるようなもんです。酔っ払っていい気分みたいなもんです。
そしてまた。お釈迦様はその教えに満足せずに出て行ってしまいました。
そりゃあそうです。
ちゃんと言葉にして物事を想っていないから、苦しいってことを苦しいって言葉で認識してないだけであって、言葉になる前の概念のまま頭の中を色々渦巻いて、ストレスやらなんやらは悶々と在ります。
眠りに落ちる直前はいい気持ちでも、いつまでもその状態は保てません。私は生きているんだから。
寝て起きたら頭はすっきりです。色々と嫌なことを思い出しちゃって、二日酔いは苦しいのです。
思惟と瞑想で何をどうしようが、私は居て、苦しいと感じるんです。
じゃあ、苦しみってそもそも何だ?
ってことをお釈迦様が考えたかどうかは知りませんが、その後は苦行を始めます。当時の流行だったらしいです。
色んな意味でイタイ話は次回に続きます。
乞うご期待!
余談ですが、満足せずに出て行ったくせに、後々になって非想非非想処も無所有処も仏教の思想の中に纏められています。ちゃっかりしてますね。
このデジログへのコメント
敢えて苦行に?
流行だからって… お釈迦さんッてS?それともミーハー(^^ゞ
はい。次回に期待♪
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