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大東亜戦争を戦った若者達の小説。今年中に昭和17年末まで描く

2024年03月09日 23:08

大東亜戦争を戦った若者達を小説にしています。予定では今年中に昭和17年末まで描くつもりですが
今の所、昭和14年の終わり頃にやっと来ました。
昭和14年はソ連満州国の境界線争いで、ノモンハン事件が起きた年です。
結果はソ連圧勝、日本が惨敗とされていますが、実際はソ連側もかなり苦戦しています。
陸での戦いは、ソ連の物量が関東軍を圧倒した形ですが、
実際は、ソ連戦車部隊の半数近くが破壊されています。
いわば装備が貧弱な関東軍にかなり苦戦したと言っても良いのです。
空の戦いはどうかと言えば、それこそ関東軍所属の陸軍の飛行戦隊が、
ソ連の飛行隊に完全に圧勝しています。
飛行第24戦隊(稲妻部隊)の活躍は群を抜いています。
ノモンハン事件は、日本人もあまり知らない事件(規模的には完全な戦争)ですが、
この戦いを教訓にすれば、新しい戦車(対戦車砲を装備した戦車)の開発は必須でしたが、全くノモンハン事件の教訓が活かされず、同じ型の戦車大東亜戦争で投入されて行ってしまったのです。
それと陸の戦いでも武器の強化と補給の大切さを十分に味わったわけですが、その対応も
全くなされず、大東亜戦争突入して行ったのです。
この辺が連合国側に負けた要因ですね。
日本軍の現場の指揮官や下士官は、世界でも最も優秀なのは間違いありません。
ところが上層部はひどかったですね。下の軍人など使い捨てとしか考えていない。兵站線など無いに等しいのです。それらはノモンハン事件でも証明されています。
兵隊は使い捨て、兵站線の無視という考えだけで、簡単に戦争は負けてしまいます。
ノモンハン事件の資料も少なく描くのに苦労しましたが、調べてみると、日本側の犠牲者の多くは
武器が貧弱な状態で、ソ連戦車装甲車に立ち向かった結果で起きました。
ただ彼らは自分の命と引き換えに戦車に火炎瓶を投げつけ、ソ連戦車火だるまにして
破壊したのです。
この戦いで、満州国外蒙古国境付近で、第23師団の歩兵はほぼ全滅しています。
そういう事実を知らない人がほとんどでしょうが。

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