デジカフェはJavaScriptを使用しています。

JavaScriptを有効にすると、デジカフェをより快適にご利用できます。
ブラウザの設定でJavaScriptを有効にしてからご利用ください。

趣味は読書、幸福

2014年10月20日 03:41

これは、フィクションです。

幼い頃が、一番幸せだったと、思われる人生は、やはり全体としては不幸なのだろう。
まだ、自分の家の風呂が、薪で沸かす木桶の風呂釜だった昭和40年代の半ばくらいまで。
家の近所の、歩いて5分もかからない所にある大手自動車会社の下請け工場で、フォークリフトの運転手をしていた父の幸造は、木製パレットの壊れたのを、時折持ち帰っては、日曜日に薪割りをした。風呂を沸かす燃料を備蓄するのだ。
せいぜい小学校の低学年だったわたしは、決して立派とは言えない三軒長屋の裏庭で、適当な大きさの切り株を台に、パレットの板切れを薪割りで、次々割っていく父の周りで、遊んでいた。
時には、戯れに、薪を割らされた。
それは大抵、晴れた日曜日の昼下がりで、一通り薪割りが終わると、裏の屋根の庇の下に、細かく割られた薪はきちんと積み上げられ、屑になった端切れを集めて、焚き火をした。
わたしは、父の真似をして、炎に尻を向けて、腰の辺りで後手を組み、時々父のグレーの作業服の様子をうかがった。
父も母も若く健康で、決して豊かではなかったが、平凡で穏やかな日々だった。日曜の午後の日差しは、いつでも暖かだった。そんな筈はないのだが、そう思える。
やがて、風呂釜は新調され、風呂は灯油式に変わった。元々酒好きだった父が、アルコール漬けになっていったのは、母の美佐枝が一生付き合わなければならない病いを患ったのが、原因かどうかはわからなかったが、父は深酒で、会社を休みがちになり、母は週に三度の人工透析に通うため、それまで通っていたパートの仕事をやめた。
家計ばかりでなく、家族の日常に暗雲が垂れ込めていた。
わたしは酒さえ飲まなければ、父には何の不満もなかった。
病気で、弱者になっている母をなぜ父はもっといたわらないのかと、ずっと思っていた。時には、恨みさえした。
しかし、大人になった今は、男として少しだけ、その気持ちも分からないではない。わたしは幸造とも美佐枝とも親子だったが、父と母は他人だったということである。「子はかすがい」などというのは、俗っぽくて長年嫌いな諺だったが、今はなんとなく分かる。恋愛という幻想の時期を過ぎた夫婦は、子供の為に、他人同士が共同生活をし、ある程度の我慢や譲歩をし合う。それを若い頃は、純粋ではないと、無邪気に考えていたのだ。
わたしが生まれた頃まだ新婚だった両親は、わたしを育てることで、親になり夫婦になっていった。それは、唯一の結果である。
まだ、幼くて、人生に厳しさを何も知らなかったあの陽だまりの中の日曜日は、今から思えば幸福だった。
それは、今までで一番幸福だった日々かもしれない。しかし、過去に違いなく、自分は既に人生に大半を終えてはいるが、まだ違った幸福があるのではないかという根拠のない希望に、ぶら下がって日々を生きている。ありもしない幸福を求めて。これが人生なのだと。

繰り返しますが、これはフィクションです。

このウラログへのコメント

まだコメントがありません。最初のコメントを書いてみませんか?

コメントを書く

同じ趣味の友達を探そう♪

  • 新規会員登録(無料)

プロフィール

ブルーローズ

  • メールを送信する

ブルーローズさんの最近のウラログ

<2014年10月>
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31