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身体痛むとき

2006年04月04日 22:54

時として妙に寒い日もありますが、暖かい気候の日が多く、新しい季節が巡ってきたことを実感させます。桜花爛漫とまではいかないもののあちらこちらで桜が花開いていまして、優しげな彩が穏やかな気持ちをもたらします。
就職した友人達は研修の真っ只中です。ありていに言えば、期待と不安に胸躍らせているといったところでしょうか。社会人へと進んだ彼らはもうスタートを切っているんですね。
その一方でエンドウさんはといえば、惰眠をむさぼっていました。
通信制大学の教材が4月半ばまで届かないので、本格的な勉強が始められない・・・というのは単なる口実。学ぼうと思えばいくらでもやりようはあると思うのです。
ただ、春の陽気は眠りを心地よいものにするので、ついつい布団に包まっていたのです。

しかしまあ、いつまでも転がっているのは飽きます。
時刻は午前9時を過ぎたぐらい。朝食を食べる時間としては少し遅くなりましたが、軽く食べておこうと思い、身を起こそうとしました。
けれど・・・突然首から発せられた激痛は、僕の身体を再び布団の中へと沈めました。
重いものを持ち上げたり、腰を捻挫したときなどに急に腰部に強い痛みを起こすことをぎっくり腰と言います。突如として訪れた首の痛みはぎっくり腰のものとよく似ていたので、便宜上この状態を「ぎっくり首」と呼びます。
首を動かすと厳しい痛みが生じるので、振り向けない、仰げない、俯けない、頷けない、傾げられないという具合です。楽な姿勢で横になっているのが一番楽なのですが、それでは何もできません。

ぎっくり腰の場合は1週間も安静にしていれば回復するそうですが、ぎっくり首の場合も同じぐらいの時間で済むとしても、そんなに待っていられません。手早い治癒を期待して接骨院に行くことにしました。
エンドウさんが足を運んだ医院は、これまで何度かお世話になっているところです。使う器具といえば患部に軽い電流を流す機械だけで、薬の処方も一切行いません。先生の手だけを信じて行われる療治は、整体と呼ぶのに実にふさわしい。
軽く触れただけで痛みの大元を見抜いた先生は、ものの数分で痛みもなく療治を終えました。どうも首と右肩の間の骨格が歪んでいたことが原因だったようです。たぶん、変な姿勢でDVDを観続けていたのが原因です。
すぐに痛みが取れるという即効性のあるものではありませんが、根本的な解決を図っているので、いつの間にやら快調に戻っているというのがいつものパターンです。

かつてエンドウさんは精肉店でアルバイトをしていました。
様々な仕事を身につけ、ベテランの部類に入ってきたエンドウさんに任されることになったのは冷凍スライサーによる商品製造でした。
身長の低い従業員が大勢いた関係なのか、その機械の作業台は低い場所に位置しています。ですから、長身の人間が冷凍スライサーを扱うためには、腰を曲げた不自然な姿勢で臨まなければいけませんでした。
それが祟ったのでしょう。あるとき、左の太ももに痛みを覚えるようになりました。
立っていられないような深刻なものではありませんでしたが、いつまでも消えない違和感不愉快さを与え続けました。埒が明かないのでいつもの接骨院に行こうと考えたときに、ある言葉が浮かんできました。初診のときに先生が仰っていたことでした。
「痛いところは悪くない。悪いところを庇うから痛くなるんです。薬を使うのは痛みをごまかしているだけですよ。現状で我慢しなさいって言っているようなものだから」
もしかしたら、足の痛みは負荷のかかっている腰を無意識に庇っているせいなのかもしれません。耐えられない苦痛というわけではないので、ここはひとつ整体の真似事を試してみようと思いました。
バイト中だけではなく、日常生活でも背筋を伸ばした姿勢を心がけるようにしました。ちっとも効果が出ないまま時間が過ぎていきます。やはり整体を受けようかしらと思うようになりましたが、やがていつの間にか痛みが引いていることに気が付きました。
整体もどきが効いた結果なのかどうかは確かめようがありません。けれど、たぶん左足だけに負担を与えないように生活していたことが効果を示したのでしょう。

これは肉体的な要因によるものでしたが、精神的なものによる痛みというやつがあります。身体には何の異常もないのに、痛みや痺れなどの症状に苛まれるという場合ですね。
寒気のする話ですが、仕事に疲れたサラリーマンが原因不明の体調不良を訴え、やがて自殺あるいは過労死してしまうというのはもはや異例なケースというわけではありません。
エンドウさんは労働と言えばバイトしか経験していません。しかしその中でも、立場の弱い労働者の辛苦を味わうことがありました。
とある店長はアルバイトやパートを、人間というよりも労働力として扱っていました。彼の言うところの「指示」は、実のところ体のいい「操作」であり、人を育てません。むしろ、潰すものでありました。
僕は単なるバイトなので彼の指示はほとんど聞き流していましたが、社員であればそうはいきません。理不尽な命令でも黙って従わざるを得ないでしょう。
心因性の痛みは身体を介して知らされる心からの警告であるという見方が、わりと一般的であるように思えます。しかし、もしかしたらそれを感じ取る前に、傷つきやすい心を身体が庇うというステップを挟むのではないでしょうか。

ある意味、庇うことができるうちは痛みを知ることができるので正常と言えます。けれど、身体がストレスから心を守り切れなくなったそのときに待つものは、破壊ですか。
身体と心の関係は不可思議で、まだまだ未知の関係があるのだろうと思うのです。

このデジログへのコメント

  • えり 2006年04月05日 19:28

    身体も心もバランス良く元気で過ごすのが理想だね。エンドウさんは知識も豊富だし本当にタメになります。

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