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成程話:「期待」と「信頼」の違い

2016年12月17日 00:01

「期待」と「信頼」の話。


「期待」と「信頼」は、ともすると同じような場面で使われがちですが、「期待」は、相手に「こういうふうに動いてほしい」と、相手を思い通りに動かそうとしている意思を含んでいる言葉だと考えることができます。
それゆえに、期待通りにならないと、イライラして相手を責めたくなります。
もう一つの「信頼」は、相手を信じ、頼ることです。
こちらは、ものごとの結末に関係なく、相手を信じているわけですから、いつもワクワクした気持ちでいられます。
幸せな人生を送るためには、相手に期待せず、信頼することが大切です。
私は自分を、人を信じやすいタイプだと思っていましたが、信じているつもりで信じきれていなかったときがありました。
しかし、そんなときには、まるで私に自分の未熟さに気づかせてくれるような課題が現れるのです。
今、私は、ある一人の人を信じきるという課題を前にしています。
私自身で、「よし、彼を信じ切るぞ」と決めたのです。
彼がそのことをどうとらえるかは、関係ありません。
まわりから、信頼して大丈夫かという声も聞かれます。
でも、それも関係ないのです。
なぜなら、私が自分の頭で、信頼すると決めたからです。


毎日をハッピーにする90の方法
南泉和尚
ディスカヴァーより


「期待」は相手に覚悟を求める。
「信頼」は自分の覚悟を求められる。
ワコール創業者塚本幸一”さんの言葉が響きます。
「リーダーというものは、下に対して『俺を信頼せよ』と言うのではなく、
まず、自らが下を信頼すること。
総てはそこから始まるのである」

月刊致知」にあったお話から、信じ切ることの大切さを教えてくれるお話をご紹介します。
戦前の話
明日工作をするからナイフを持ってくるようクラスに呼び掛けたら、
翌朝、ある児童が自分のナイフがないと言い出しました。
先生は「ひょっとしたら、あの子が盗ったのかもしれない」と思った児童がいたので、
「運動場で遊んでおいで」
と、クラス全員を外へ出し、盗ったと思われる子の机を見たら、やはりナイフが入っていました。
先生はすぐに裏口から近くの文房具屋へ走り、同じナイフを買ってきて、盗られた子の机にあった本に挟んで入れておきました。
子供達が教室に帰ってきた時、
「もう一度ナイフ探してごらん」
と言うと、
「先生、ありました」と生徒は言います。
「しっかり探さなければダメだぞ」と言いながら、百分の一秒くらいの時間で盗った子をみたら、その子はじっと先生を見ていました。
それから何年か経って、時は終戦間近だったそうですが、先生の元に一通の手紙が届きました。
そこには、
「あの時、みんなの前で先生に叱られていたら、自分はろくな人間になっていなかったと思う。
これからも自分のように恵まれない子どもに、どうぞ愛の光を当ててください」
と書いてあったそうです。
続けて、
「自分は明日、沖縄へ向けて出撃します。出撃しても先生のことは一生忘れません」と・・・
つまりその手紙は、その子の遺書だったのです。


信じてくれる人、信じ切ってくれる人が一人でもいたなら、人は人生に希望を見出せるのではないでしょうか。
自分も、心から信頼する人でありたいです。

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