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成程話:悲しみのどん底にあるとき

2016年12月03日 23:42

もし、悲しみの中にいる人がいたなら、読んでいただきたいと思います。

悲しみのどん底にあるとき、人は弱り、疲れはて、無力感に打ちのめされています。
神に助けを求めても、なんのなぐさめも安堵も得られません。
そうやって人は悲しみのつらさと、祈りだけに頼ることの限界を知り、古い自己を捨てる道へと分けいっていくのです。
そこで心を清め、自制を学び、精神を鍛え、自制心から生まれる気高くゆるぎない力を身につけるのです。
やがて、悲しみの原因が自分のなかにあることを知り、それを取りのぞくことができるでしょう。
自立して生きていくことを学んだからには、もはや、だれかにあわれみをかけてもらおうとするのではなく、すべての人に対して思いやりを示すことができるようになります。
軽率に罪を犯したり、自責の念に駆られたりすることもなくなり、罪を犯さないですむ方法を身につけます。
数えきれない挫折によって謙虚さを知り、多くの苦悩によって鍛えられたので、誰に対しても清廉潔白に穏やかに、力強くやさしく誠実に、あわれみ深くかしこくふるまうことができるようになるでしょう。
このようにして、人は悲しみを徐々に乗りこえながら、少しずつ真理へと近づき、不変の心の平安の意味を知るのです。
その心の目は開かれ、宇宙法則をしっかりと理解するでしょう。
そして、法則の恵みを受けて、このうえない喜びを手にするのです。

「起こること」にはすべて意味がある
ジェームズアレン
引き寄せの法則研究会
三笠書房より


悲しみの底にあるとき、人がでるのだと思います。
何も言わず、じっと耐え、愚痴を漏らすわけでもなく、だからといって妙に明るくふるまうわけでもなく、誰のことも責めずに、自分自身と向き合う人。
こういう人は、悲しみのたびに優しくなり、悲しみのたびに強くなり、悲しみのたびに成長していくでしょう。
自分だけに悲しい出来事があるわけではありません。


読書のすすめ」清水店長の著著“「ブッダを読む人」は、なぜ繁盛してしまうのか”より紹介します。

ある日、お釈迦様の素晴らしい噂を聞きつけて、ミヤータという婦人がやってきました。
釈迦様にお会いしたいとしきりに訴えるので、弟子たちがその理由を尋ねたところ、「お釈迦様は奇跡を起こすと聞いた。だから自分の亡くなった子供を生き返らせてほしい」と言うのだそうです。
弟子たちがどうしようかと困っていると、お釈迦様が言いました。
「連れてきなさい。会ってみましょう」
進み出たミヤータが、お釈迦様にわけを話すと、お釈迦様は言いました。
「ミヤータ、わかりました。では、その子を生き返らせてあげましょう」
「えっ、本当ですか!」
「でも、ミヤータ、それにはあるものが必要です。なに、小さなケシの実一粒ですよ。ただし、いいですか。今まで死んだ人のいない家からもらって来て下さい。それでないと効果がありませんからね」
ミヤータはさっそく待ちに出掛けて行って、片っぱしから訪ねて回りました。
しかし、どの家もどの家も身内の誰かが死んでいました。
そして、ミヤータは分かったのです。
「そうなんだ。私だけではないのだ。みんな身内を亡くしている。
でも、みんなそれに負けずに明るく生きているのだ」と。


心の成長もしていきたいですね♪

このウラログへのコメント

  • ちょい悪親爺 2016年12月04日 14:41

    『お釈迦様の言葉』咄嗟には思い付かないですね。
    人を説得するよりどうすれば納得してもらえるか、考えさせられます。

  • なな♪ 2016年12月18日 10:31

    シルバーさん:確かに普段から意識していないととっさに浮かんでこない気がする

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