デジカフェはJavaScriptを使用しています。

JavaScriptを有効にすると、デジカフェをより快適にご利用できます。
ブラウザの設定でJavaScriptを有効にしてからご利用ください。

成程話:孝行を尽くす

2016年06月24日 23:39

伊與田覺氏の心に響く言葉


「三者備(さんしゃそな)わる。然(しか)る後能(のちよ)く其(そ)の宗廟(そうびょう)を守る、蓋(けだ)し卿大夫(けいたいふ)の孝(こう)なり」

三者というのは、法服、法言、徳行。
その三つが備わって初めて宗廟を守ることができる。
宗廟を守る」とは、先祖祀(まつ)りができるということです。
高い地位に就いたのは結構であったけれども、その地位を失うと先祖祀りもできなくなる。
そうすると家が絶えるということになる。
だから、先祖祀りができるというのが「蓋し卿大夫の孝なり」で、卿大夫あるいは大臣としての孝行であろうというのです。
日本もそうですが、中国では特に先祖祀りが非常に重視されています。
それが孝行のひとつの大きな条件になっています。

曾子(そうし)が『論語』の中でこういっております。
「終わりを慎(つつし)み、遠きを追(お)う」

「終わりを慎む」とは、親が亡くなったときに葬儀を丁寧にするということです。
そして「遠きを追う」とは、その先祖の遺徳を偲(しの)んで先祖祀りをするということです。
これが孝行として非常に大切なことだと曾子はいうのです。
生きた親に孝行することはいうまでもなく大切だけれども、同時に「終わりを慎み、遠きを追う」ことを忘れてはいけない、と。
先祖を思うということは自分を大切にすることにもつながります。
今日ここに我々があるのは、先祖のお蔭によってあるのです。
また、それだけに自らも子孫にとってよき先祖となることが大切である。
子孫からよき先祖であったといわれるように、自らを慎んでやっていかなければなりません。
だから、先祖祀りをするということは、同時に自己自身を修めていくことにもつながっていくんですね。

『孝経 人生をひらく心得』致知出版社


田中角栄さんが総理大臣になったとき、老いたる母親から『総理大臣を辞めないかんかったらいつでも帰ってこい』と言われたそうだ。
『庇(かば)うてやるから帰ってこい』と。
これが親の姿だ」(同書より)

子どもがいくら一国の総理になったとしても、親が子を思い心配する気持ちは一般庶民と変わらない。
子どもの頃から自分がどれほど親に世話になったか、大事にされたかを忘れている人は、恩を大事にできない人。
恩を忘れた人は、周りの人にも薄情。
人はそれをよく見ている。
先祖を大事にし、親への孝行を尽くしたい。

このウラログへのコメント

  • kouji 2016年06月25日 10:27

    人と人とは縁によって繋がっていて、親兄弟からデジ友までいろいろ。
    親子や先祖の縁は強いものです。
    先祖を大切にしようと思うならば自分が幸せになることが一番。
    自分の幸せが先祖供養にも繋がると思います。

  • なな♪ 2016年07月11日 23:53

    koujiさん:そうですね(^^)
    やっぱり今のままではだめだな

コメントを書く

同じ趣味の友達を探そう♪

  • 新規会員登録(無料)

プロフィール

なな♪

  • メールを送信する

なな♪さんの最近のウラログ

<2016年06月>
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30