デジカフェはJavaScriptを使用しています。

JavaScriptを有効にすると、デジカフェをより快適にご利用できます。
ブラウザの設定でJavaScriptを有効にしてからご利用ください。

人生の意味を考えるのはオナニーに飽きたとき

2011年07月23日 19:07

伊集院光氏の迷言である

前にも書いたような気がするが、堂々巡りの思考の所為であろうか

しばらくデジカフェ放置していたら
無料ユーザーに格下げされてしまったらしい

「人生の意味」をもとめてしばらくになるが

「OOの意味は何か」を考えるより「なぜOOの意味を考えるか」
が重要であることに気づいたのは最近である

意味を考えるのは、ただ単に
人生の「くだらない苦痛」に対する崇高な「何か」を求めているからにすぎなかった

人が生きている時の間は「心理的な”快”の追求と苦痛の回避だけ」であるのなら

幸せが、ハイデガーが言っているらしいように
ただ単に「気分」の問題であるならば

私は堂々巡りを繰り返し、何処へと向かうのであろうか


「繰り返しは上達への近道だ!!」

NHKで放送されていた「ホワイトハウス」の一場面にあった

イラクミサイル基地への攻撃をためらう大統領に対し
補佐官(?)が言う台詞である

「たとえ基地破壊しても、やつらはまた基地をつくる。
 また破壊しても、建設を繰り返すだろう。
 何度破壊しても、何度でも作るだろう。
 何度も何度も・・・この繰り返しだ!」

こんなような嘆きに対する返答だった


補佐官(仮)の俳優は「LA LAW」に出演していた人だった

ジョージスペンサー(?)
登場人物が違うかもしれないが「ホワイトハウス」には印象的な一場面がある


補佐官の妻が、激務で家を空けがちになる夫に対して

なぜ、記念日を愛する人と過ごす幸せを、私は求めてはいけないのか

と、詰問する場面が・・・なんだか違った気もするが

夫は答えに窮していたが
私なら「私はその「普通の幸せ」を守るために働いているのだよ」
と答えたかった。


無論私にはホワイトハウスに勤務する能力などは無かったのだが


もはや、愛する人と過ごすことも含めた「普通の幸せ」すら
得がたい状態になってしまったが

このウラログへのコメント

まだコメントがありません。最初のコメントを書いてみませんか?

コメントを書く

同じ趣味の友達を探そう♪

  • 新規会員登録(無料)

プロフィール

dt31

  • メールを送信する
<2011年07月>
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31