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どうする家康に見る足利義昭の人物像

2023年04月23日 21:24

足利義昭は15代足利将軍で、足利幕府最後の将軍です。
いつもながらテレビに映しだされている足利義昭像はひどい扱いをされています。
本来の足利義昭はとても賢く、信長を手玉に取っていた感もあります。
押しては引いてのたくみ戦術や戦略はさすがはと言わせるものがあります。
信長は義昭を疎んじるようになったのが、元亀天正の騒乱を招いて、
信長の天下取りを10年遅らせたと言われたいます。
義昭は誠に食えない政治家でした。表立って信長に異を唱えようとせず、陰で諸大名本願寺を操っていました。完全に信長が義昭の器量を読み違えています。それが元亀天正の騒乱を招いた本当の理由です。
もし信長と義昭が手を取り合って、戦国の世を終わらせようとしたならば、明智光秀が反乱を起こすまでも無かった事は明白な事です。
義昭は信長にはかなり譲歩していましたが、信長は義昭の器量を読み違え、ほとんど譲歩もしなかったというか逆に将軍としての振る舞いを非難し、悪将軍の様だと言っています。そして義昭の行動や立ち振る舞いまで信長が指導するような文章を義昭に送りつけます。
これでは将軍の立場や面目は丸つぶれです。信長はなんと大人げないのでしょうか。
これでは将軍義昭が本気で信長包囲網を策定したのは当然の事になって行きます。
しかし武田信玄上杉謙信が相次いで亡くなった運もあって、信長は運よく勝ち残っていったわけです。
紙一重の差で将軍義昭を京から追放しましたが、その後も義昭は足利将軍の地位を剥奪された
わけでもなく、毛利の下で諸大名将軍としての通達を送り続けています。
まあ基本的にあきらめの悪い、しつこい性格だったのでしょう。
ともかく足利義昭テレビでの描き方はひどすぎますね。
信長が元亀天正の騒乱で、義昭による信長包囲網で転落する危険性は大いにありました。
そういう意味では信長と義昭は真のライバル同士という事が言えるのです。

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