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「かぐや姫」

2018年05月21日 02:07

「かぐや姫」

アニメはほとんど見ない派、というより慣れてない世代なので、アニメについて発言権はないのですが、高畑さんが亡くなって、その追悼番組の「かぐや姫」を見ました。

感動しました。男の視線がないといえば言い過ぎになり、中性的な視点といったほうが適切になるでしょうが、その視点から、子供が少女になる過程で、さらに「女」になる(される)中で、失っていくものが哀切に描かれていました。失っていくものは、人間がみずからもその仲間である生けるものたちとの交流、あるいはまだ性が前面にでる前の子供時代の友情のようなもの、一言で「無垢」であり、生きること自体の全面的な肯定です。

もちろんそれは大人になった者のみがなしうる過去の再構成ではあるのですが、それがみずみずしさを湛えているのは、高畑さんの記憶に無垢の時代の断片がまだ残っていたからではないかと感じます。

私は男なので、この作品を女性が見ればどう感じるのか分からないのですが、たぶん私が感じたこととかなり重なっているのではないでしょうか。それは、少女が女になる中で(男社会によって)人間としての感性が抑圧されていくことに対する怒りがどれだけ深いものかということです。この作品のハイライトは、かぐや姫となった主人公が、すべてを投げ捨て、故郷に疾駆しながら帰還する墨絵的に描かれた場面でしょうが、ここでは彼女の怒りの凄まじさが凝縮して表現されています。

それと、小き者、幼き者、あるいは虫やカエルに象徴される生けるものに注がれる高畑さんの愛情もよく伝わってきます。ここでは、人間と他の生きものの境界はあるいは存在させてはいけないのではないかというところまで射程が伸びているように感じました。

触発されたものはまだありますが、うまく言葉で表現できません。

ただ一つ、この作品に対してある女性が、ツイッター上で、「美しい女だから悲劇になるが、もしそうでなければ、ずっと孤独だ」とひねったコメントをしていました。確かに一理あるかも知れません。しかし、美しい女性が内面で抱える孤独と、そうでない女性が抱える孤独ははたしてどれほど違っているのか、もしかしたらほとんど差はないのではないかと思ったりしています。

このデジログへのコメント

  • rosaIine 2018年05月22日 00:34

    見ていませんが、孤独は同じに同感です。そのコメントの人は視点が変わってしまっています。いうなら「客観的には美しい女なら悲劇だが、不美人なら喜劇だ」でしょうね。

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