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「女体もち」という言葉

2018年04月28日 00:57

いつの頃からか、ツイッター上で、「女体もち」という言葉が時折流れてくるようになりました。艶かしい言葉なので(笑)つい惹かれ、印象に残っているのですが、これはもちろん色っぽい言葉として使われているのではなく、フェミニスト女性たちがいわば闘いの用語として使っているものなのです。

でもこの言葉には鋭い観点が含まれていて、私には目に鱗でした。誰が、いつ言い出したのか分かりませんが(知っておられる方がいれば教えてください)、私なりに解釈すれば次のような意味合いを持っているのではないかと思います。

「自分たちはたまたま女体もち(女性)として生まれたけれども、それは偶然の所産であり、男(従って男体もち)でもありえたし、女体もちであることは、人間としての属性の一つに過ぎない。人間である前に女体もちであることを先行させ、それを決定的なメルクマールであるかのようにラベリングするのは男のジェンダー的な偏見である」と。

でも考えてみると(一般論ですが)、恋愛から結婚初期ごろまでは、お互い、女体と男体としてのの結びつきが強いものの、ある程度の時間がたち、恋愛パッションが減衰してくると、お互いの人間としての側面(人格のようなもの)が次第に全面に出てきて、そこでは、人間対人間の関係をどう結んでいくのかに直面するようになります。

ところが、この局面を男のほうは、女性をどこまでも女体もちとしての側面だけで対処してしまうことがたぶん圧倒的に多いのではないかと思うのです。もちろん、恋愛初期から女性をまず人間としてとらえる男性はいると思いますし、結婚生活もそのとらえ方を維持する男性もいることでしょう。けれども、いま議員官僚、さらにはあちこちの職場で問題になっている中年以上の男性たちのセクハラも、もとをただせば、この問題、つまり女性を人間としてとらえる前に、まず女体もちとして見てしまう男性の偏見から来ているわけで、やはりこの偏見は根深く、大多数の男性をとらえていると考えざるをえないのです。

お互いに人間として付き合うことと、女体もちと男体もちとして愛し合うこととを切り分けるのは確かに難しいことですが、それでも本来的に矛盾することではなく、お互いにそうすることができると思います。この点では、歴史的に長く女性差別されてきた歴史を考えると、男性側が乗り越えるべき壁がより高いのは言うまでもありません。

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