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36℃

2005年08月05日 22:11

今日も暑い一日でした。
照りつける夏の陽光が肌を焼くようで、暑がりのエンドウさんにとってはあまりうれしくない気候であります。
名古屋の最高気温は35℃だったようですが、瞬間的には36℃ぐらいあったのではないかと思います。
ホントやってられませんよ。

36℃といえば人間の常温ですね。
考え方によっては、その温度の中にいるということは人間と密着した状態ということになります。
そんなことは考えるだけでも暑苦しいというのに、実際に皮膚を合わせてみたらどう感じるのでしょうか。
試しに妹と手の平を合わせてみたら、すぐにも汗が滲んできてとても合わせていられなかったので、即手を離しました。

しかし、そんなバカみたいに暑い中でも能動的に手をつないでいる人たちがいますね。
仲睦ましい恋人たちですよ。
肌を合わせるだけでも嫌になるというのに、指を絡め合わせているのですからとても正気の沙汰とは思えません。
いや、恋というのは熱中下にあるものなので、その意味から言えば不思議なことではないのですけどね。

恐らく、彼らの恋が発する熱は気温よりも高いのでしょう。
人間は自分の体温よりも高いものに対して熱さを感じ、低いものに対して冷たさを感じるものです。
だから炎天下の中においても平気で手をつないでいられるのだと思います。

恋するふたりの温度が同じものであるか、あるいは近いものであるうちはふたりの間に心地よい空気が育まれます。
しかし、様々な要素に端を発するケンカや、長年の付き合いによる倦怠が生じた場合、ふたりの空気は性質を変えます。
いわゆる温度差というやつですね。
程度によって関係が修復できることもありますが、時として破局を迎える結果にもなります。
温度差を感じたときにはすでに不和に陥っており、別離を覚悟したほうが良いかもしれません。

こちらの熱が冷めてしまった場合、往々にして相手の熱意が鬱陶しいものになります。
あんなに心地よかった彼女の熱が不愉快なものに変わってしまうんですね。
好きという感情はものすごい量のエネルギーを消費して発せられるものですから、その熱量は凄まじいものがあります。
同等のパワーを持って向き合わねば恋はできません。

逆に相手の熱が冷めてしまった場合は惨めです。
こちらがどんなに思いを伝えようと必死になっても、それが受け止められることはなく空回りになってしまいます。
いくら熱い思いの丈をぶつけようとも、その熱が冷めてしまった彼女の心を暖めることはないのですね。
その空しさに気がつく頃には自分の熱も冷めてしまっているというわけです。

温度差が激しい状態というのは健康によろしいものではありません。
ずっと熱い風呂に浸かっていたらのぼせてしまいますし、冷たい水の中にいたら凍えてしまいます。
恋に対しても同じことが言えると思います。
熱すぎる思いに付き合っていても疲れてしまうだけですし、さめた相手に恋焦がれても虚しいだけですよ。
恋を経験することはいろいろと実りのあるものですが、終わってしまった恋にすがるというのはあまり精神的な健康によいものではありません。

恋心は理性を焼きます。
醒めた視点から見れば恋に落ちている状態は単に狂っているようなものですが、その熱に身も心も委ねるのが恋の醍醐味ですね。
恋する相手に思いを募らせるのではなく、正しい意味で考えるようになったら、その恋は終局が見えているのかもしれません。

恋を考えるようになってしまったエンドウさんはずいぶんと遠いところに来てしまったような気がします。
しかしあの狂おしいような熱の感触を、時として懐かしいと感じます。完全に醒めてしまっているというわけではないのですね。
そんな時に、炎天下の中で手をつないで歩いている恋人たちを見ると、冷めてしまえ!と羨んでしまうのでした。

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