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勝ち/負け

2006年02月27日 02:05

自転車に乗って、見慣れた河川沿いの風景を駆け抜けていました。
風を切るのは気持ちがいい。性能によるものなのか、ペダルに加えた力がそのままスピードに変わっているかのような感触がします。心地よい加速です。
不意に、視界の端に何かが留まりました。
もしかしたら・・・という思いを抱き、ブレーキをかけて引き返します。件のものを手にとって見ると、予想通りお財布でした。
ウサギキャラクタープリントされた色使い鮮やかなものだったので、持ち主は大人ではなく、小学生ぐらいの女の子ではないだろうかと考えられます。
失礼して中身を拝見しました。総計300円にも満たないであろう小銭と、テレフォンカードや図書カードぐらいしか入っていません。そして名前と住所、通っているのであろう小学校の名が記されたカードが納められていました。
もしもの話。数千円も数万円も入っていたら、息を潜めつつ懐に忍ばせていたかもしれません。しかし、この程度では・・・。

ふと、苦い記憶が思い起こされました。
もう10年以上も前のことです。小学校低学年だったエンドウさんは鼻炎のために、週に一度は耳鼻科に通っていました。
初めのうちは親が同伴していましたが、次第にひとりで通院するようになりました。そう遠くない距離であったので慣れたのでしょう。父の友人で、かわいがってくれたおじさんからもらった巾着袋をお財布代わりにして、病院に足を運んでいました。
小さな病院なのに患者は多かったので、待合室はたいてい混み合っていました。運良く座ることができても、ちょっと席を外すと誰かに座られてしまうという具合でした。
幼いエンドウさんはどうすれば席が確保できるだろうかと頭をうならせ、妙案を思いつきました。後になって思えば無謀でしかなかったのですか、席を離れるときは巾着袋を置いて場所取りをしようとしたのです。
何度かはうまくいきましたが、やがて終わりを告げました。置き引きにあったのです。
お金を盗まれたことは小さな子どもの心にも衝撃を与えました。しかし、何よりも辛かったのは、大事にしていた巾着袋がなくなったことでした。
その場は会計をツケにしてもらい、家に帰って親に事情を話しました。母はお金のことについては一言も触れず、大切な巾着袋を不用意に手放したことを怒りました。「お金だけとって捨てたかもしれない」という言葉を頼りにドブの中まで探しましたが、結局見つかることはありませんでした。

金額だけ見れば大したことはありません。
しかし、もしもこの財布の持ち主があの時の自分と同じような辛さを感じているのだとしたら。その姿は痛ましく、自分と重ね合わせて、眉をひそめました。
ですから、持ち主の手元に戻るようにしようと決めたのは当然と言えましょう。
最寄の交番がわからなかったので、記されていた小学校まで持っていき先生に渡しました。その際に名前と電話番号を残してきたので、持ち主の親からお礼の電話がありました。どうも必死に探していたようなので、届けることができて何よりです。

常識的に考えれば、財布とは単なる入れ物であり、中身である金銭にこそ価値があります。
けれど、幼いエンドウさんにとってそれはあまり意味のない決め事でした。お金は工面できますが、「おじさんからもらった大事なもの」という思いが込められた品は他のものには代えることができないのです。そこに価値を見出していたのです。
もちろん、お金をないがしろにしているわけではありません。
経済的な事情により辛酸を舐めさせられたことは幾度もありました。それでも、常識による評価では測りきれない重要なものがあると思うのです。

例えば、勝ち組・負け組みというカテゴライズがあります。
そもそも何をもってして勝ち負けを判断し、人間を二分するのかという基準に疑問があるのですが、意識的な分類ではないでしょうか。
カップルにあらずは人にあらず」とか、「ニートは社会のゴミ」とか。
それに沿うならば、年単位で彼女はいないし卒業を間近に控えているのに就職が決まっていないエンドウさんは、負け組みここにありと高らかに宣言できるほどなのですが、しかしながらはたして俺は負け組みなんでしょうか。
負け組みというのは、言わば社会の規格から脱落したものに与えられる称号です。そこに敬意などあるはずがなく、ただ勝ち組からの蔑み哀れみがかけられるだけです。
けれど、はっきり言って自慢になりますが、エンドウさんのファンは多いんですよ。
これいかに。

ある意味、規格品であることは安定していますし、楽です。
勝ち組の要件だけを満たしていればいいからです。あらかじめ解答が用意されているところへ向かえばいいだけですから、道を疑う必要がありません。加えて、勝ち組という世間体も約束されています。
指し示された幸せの形です。
それのひとつの生き方なのでしょうが、エンドウさんは不器用なのでダメです。評価に評価されようと尽力するのは、自分を塗り替えていくようで性に合いません。規格品であることが価値であるのなら、人間が個人である意味がないと思いますよ。

正しく生きることは、よりよく生きることになるのか。
今一度、自分の内に問いかけてみるのもいいかもしれませんね。

このデジログへのコメント

  • えり 2006年02月27日 17:08

    お金はまた稼げばいいけど大切な人や物の代わりは無いもんね。お財布が戻って喜んでる顔が浮かぶね。

  • えり 2006年02月27日 17:10

    結婚してても子供が居ないえりは負け組らしい。えりもエンドウさんの数多いファンの一人です!!

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