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知的障害者に優生手術した

2018年01月28日 16:42

優生手術」と呼んで知的障害者精神障害者らへの強制不妊手術を認めた旧優生保護法(1948~96年)の下、東京都立病院が、精神疾患と診断された20代女性について結婚を理由に優生手術が必要と都に申請していたことが、同病院の元勤務医が保有していた資料で明らかになった。この精神科医は、自らも優生手術に関わったことを認めた上で「審査過程はずさんなケースも少なくなかったと考えられる」と振り返った。優生手術の実態を当事者の医師が明らかにするのは異例。【遠藤大志】

 資料を保有していたのは岡田靖雄医師(86)=東京都杉並区。「法律差別的だった」と認め、「自分が手を貸した事実は隠さない」と実名で取材に応じた理由を語った。

 岡田医師は56年に医師になり、58~66年に都立病院精神科に勤務。在職中の64年ごろ、自身は知的障害のある女性への優生手術の申請に関わったという。保有する資料は岡田医師が勤務する以前のもので、同病院が都の優生保護審査会に提出した「優生手術申請書」と「健康診断書」(いずれも50年5月25日付)、同審査会が手術の適否を判断するための「調査書」(同年6月10日付)の計3点。優生手術は精神科医が審査会に要請する仕組みだった。

 申請書は「精神分裂病」で入院中の当時22歳の女性に関するもので、「結婚話が進行しつつあるが、その為優生手術をうける必要があると考へられる。当人の父方祖母に精神病者あり同胞には分裂気質の著名なものがある」と記述。一方で健康診断書には「家庭生活に耐へる能力があると思はれる」との見解を示していた。

 調査書には女性の生活史などが記され、「外部に働いている男患者と仲よくなり、しばしば往来あり、注意中」などと、ここでも妊娠を問題視していた。

 この女性が実際に手術を受けたかは分かっていない。岡田医師は家族の病歴の調査なども十分に行われていなかった恐れがあると指摘し、「後悔しているとか自責の念があると言えば格好いいが、当時は普通のことで問題となることはなかった」と述懐。自身が関わった手術の後、遺伝と精神疾患を結びつける優生保護法に医学的見地から疑問を抱き、論文などで「法律差別的だった」と批判する中で病院内で三つの資料を入手した。

 岡田医師は「国は早急に実態を調査し、強制的に手術を受けた人たちに十分な償いをすべきだ」と語る一方、「真相を究明するためにも、多くの人が訴え出てほしい」と望んだ。

 ◇宮城女性、30日に国賠提訴

 旧優生保護法を巡っては、15歳で優生手術を受けた宮城県の60代女性が30日、「個人の尊厳自己決定権を保障する憲法違反している」などとして、全国初の国家賠償請求訴訟仙台地裁に起こす。弁護団は手術を受けた人たちが泣き寝入りしている可能性があるとみて、提訴後の2月2日、当事者を対象にして電話相談を始める。

 宮城県が保管していた「優生手術台帳」によると、女性は1972年12月、「遺伝性精神薄弱」を理由に卵管の峡部(きょうぶ)を縛る手術を強制された。手術後、腹部にたびたび違和や痛みを覚え、87年ごろに入院。卵巣の組織が癒着する卵巣嚢腫(のうしゅ)と診断され、右卵巣の摘出を余儀なくされた。不妊手術を理由に縁談が破談となり、現在も独身

 国は「当時は適法だった」などと謝罪や実態調査には応じない構えを見せている。

 【ことば】旧優生保護

 ナチスドイツの「断種法」がモデル国民優生法が前身。「不良な子孫の出生防止」を掲げ、知的障害精神疾患などを理由に本人の同意なしでも不妊手術を認めた。結婚の際には手術を受けたことを相手側に「通知しなければならない」と定めていた。日弁連によると、96年に母体保護法改定されるまで、強制的な不妊手術は約1万6500件に上った。

このウラログへのコメント

  • mina.n 2018年01月28日 18:40

    これはね、難しい問題だよ。
    生まれてくる子どもが、障害を抱えた場合、面倒みてくのは、生んだ当人でなく、周りの人間たち。

    ある意味、負の連鎖を断ち切るために必要であったこともあり得るかなと、、、

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