- 名前
- さき(..)
- 性別
- ♀
- 年齢
- 28歳
- 住所
- 東京
- 自己紹介
- 仕事がとにかく辛くて、ストレス解消のためにこの掲示板にお相手を探しにきました♡ 前付...
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うさぎ老いしかの町
2018年01月08日 22:42
バスに乗ったのは、14年振りのことだ。
二ヶ月ほど前から鳴り続く痛みを頭に押し込めて、赤い線の三本入ったバスが来るのを待っている。
バス停に並ぶ長い列は誰も喋らないから、私は言葉に倦み果てた彼らの、向こう側の街を眺める。
16時の街は6時よりも静かだから、頭痛がひどく鮮やかになる。12月の空気はどの瞬間よりもひどく確かだから、アスファルトが生々しく光る。
私は立っている。生きることはうさぎが震えるのによく似ているから、どうしようもなくおぼろげに。
無風の夕方を、赤いバスがゆっくりと走り出した。目を瞬かせる老人が詰め込まれた車内で、呼吸する赤ん坊に射し込む冬の陽は、白い羽虫のように揺れている。
人にはそれぞれすべきことがあって、それを場面に応じて繰り出すことがよく生きるということなのに、
(瞬かせる。詰め込まれる。呼吸する。)
私は立っている。冬の陽に合わせて揺れながら。
「つぎは 永久橋 永久橋」
とまりますの文字がぼんやり灯ると、私の頭痛は一層鮮やかになる。
青い窓に映った私の顔はひどく老けて見える。14年も経った。お気に入りだった一番後ろの右端の席に座り、通り過ぎる夕方の街を見つめていた8歳の私の眼が、同じ眼で今日の私を、横からじっと見つめている。
「つぎは日向橋日向橋」
見つめるな。ぶち殺すぞ。私がいま、ここに生きていて、食い潰さなくてはならない膨大な未来を抱えているという現実に、おまえら美しい思い出どもは触れたりしない。眼球が水でできたことを知らせる色で、じっと見つめるだけだ。
初めて本を読んだ頃も、弟が生まれた頃も、ピアノをやめた頃も、神童と呼ばれた頃も、肉の味を覚えた頃も、泣かなくなった頃も、家族が壊れた頃も、煙草を覚えた頃も、妹がいなくなった頃も、眠る度に起きる度に老いてゆく老いてゆく老いてゆく私を置いて、陽の光を反射するバス停で降りてゆく降りてゆく降りてゆく。
「つぎは銀杏稲荷前銀杏稲荷前」
私は立っている。バスの揺れに少しおくれて、黄色い吊革がかすかに揺れる。
青春などと口が裂けても呼べぬよう、自らよごした若さには、乗客のいないバスのガラスの、ぴしと音立つ痛ましさが纏わりつく。
車内にいるのは運転手と私だけで、フロントガラスには落日が異様な光を放ちながら燃えている。
眼を細めると、運転席と私の座席を隔てるアクリル板から帽子に隠れた白髪が見えた。
私はいくつになったのだっけ。まだ若いまだ若い、と呪うように呟くには私はまだ若すぎるし、もう若くはないから、とのぼせた笑みを浮かべるにはもう老いすぎたような気がする。私はいくつになるのだっけ。
老いも若きも日々老いつづけながら、ひび割れる化粧に覆われた若さの虚構を追いつづけて走る。
私は立っている。私の代わりにバスが走る。
どこへと?
「つぎは下井草駅下井草駅 終点です」
すいそうの さかなの おなか わきにみゆ
われは しわすを ひとひ わするる
このウラログへのコメント
何かの小説を読んでいる感じがする。
文才有りますね。
小さなお重に山海のご馳走をギューっと詰め込んだ感じ
お腹一杯になりました
ウサギ老いしは必ず何かあると思いましたが
なるほどこう言う事でしたか
> 公孫樹さん
確かに、描かれている情景に比して主題が分厚すぎる感は読み直してみるとあります。
もう少しさっくりとした麩菓子のような文章を書きたいものです。
老いしに気づいていただけて嬉しいです。
バスに揺られながら久しぶりに実家に帰る(合ってますか?)その時のさきさんの心の動きのひとつひとつを追体験出来た気がして、興味深く読ませていただきました。ノンフィクションだった場合、ですけど。。笑
この人の文章はここではもう読めないのか
泥海の中で見つけた水晶だったのに
どこかで書いているのだろうか
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