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趣味は読書、屁理屈、大貫妙子など

2017年06月07日 02:07

大貫妙子については、ミュージシャンだということ以外、ほとんど何も知らない。歌さえも知らないのだ。
そんな人のエッセイを買って読んでいる。「私の暮らしかた」
彼女は多分僕より、年上。何か、僕にも懐かしい記述が多い。まだ途中だが、また当たり前のことだが、前に読んだ川上未映子エッセイとも、趣きが違う。
さて、先日の誕生日に、家を大掃除した。理由はないが、心機一転
かつて、ずっと母親が家を片付けていてくれた頃は、それが当たり前であり、亡くなってからは、途端にゴミ屋敷に変貌した。そのだらしなさがずっと続いていたが、日曜日に一応人並みにはなったようである。
誰かが訪ねて来ても、とりあえず部屋にあげることは出来る。
人にやってもらっていた頃は、掃除や片付けなどを、一段低い行為と考えていた。今の僕は、掃除の意味を自分なりに、汚れている物や場所を変化させる行為だと考えている。
汚いから綺麗にするのである。
同じように、出来ないことを出来るように努力するのである。
僕は、ずっと教科では国語が好きで、漢字なども嫌いではなかったが、それは、小学校6年の時の恩師のお陰である。
その先生は、その学校で一番怖いと恐れられていた先生で、実際怖かった。
その頃はビンタくらいは、当たり前だったのだ。
何か悪戯や失敗があると、課題といって漢字100文字書き取りとか、計算問題をり10問解くとかを強制的にやらされた。
算数の計算問題は、大して進歩しなかったが、漢字はどんどん覚えた。そして、漢字が得意になることで、国語が好きになり、やがて、読書も好きになったのだ。
これの良し悪しは分からないが、僕の人生の大きな部分である。
それは、幼い頃、漢字を覚えたところにルーツがある。
未知を知る或いは体験する。出来ないことが、出来るようになる。出来ることが、もっと上達する。
そこには、自分だけの喜びがある。
もともと、個人主義或いは孤独主義なので、自分が体感したことが、大切である。
明日は明日の風が吹く。のだ。

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