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生瀬の乱

2016年04月26日 07:31

生瀬の乱

地元の伝承によると、事の起こりは、戦国時代から江戸時代への時代の変わり目であった時に実施された、年貢の取立てにありました。年貢取立ての役人が来たので、いわれるままに完納しました。するとまもなく別の役人が年貢取立てに現れ、年貢の納入を督促しました。既に納めたことを申し立てましたが、聞き入れられませんでした。農民の側でも年貢を二重取りされたのではたまらないと、村役人と相談した結果、後から来た役人がにせ役人であると判断し、後から来た役人を殺してしまいました。ところが、前の取立て役人が偽役人で、後からの取立て役人が本物でありました。
そのため、藩の怒りに触れ、秋の取り入れが終わった10月10日(陰暦)の未明、突如として芦沢伊賀守を総大将とする一隊が袋田口、高倉口、小里口の三方から小生瀬村を襲いました。突然の事で驚いた農民達は、あわてふためいて隣の高柴村岡ノ内坪にある小さな沢(浸食谷)に逃げ込みました。この沢は袋状のため逃げ場を失い、一村皆殺しにされてしまったという事件です。小生瀬村の住人が女子供に至るまで、藩士を殺された水戸徳川家の報復として、皆殺しにあったのです。その人数は数百人と言われるが正確なところは分かっていません。
この時住人は袋小路のような沢に追いつめられ殺されたのだが、命乞いをした沢の入り口付近を「嘆願沢」、奥の方で全て殺された辺りを「刃拭き沢」といい、この沢全体を「地獄沢」といいます。沢の奥の方には昔は「首塚」「胴塚」などもあったらしい。また周辺住民が殺された小生瀬村の家から農具等を持ち出したところ、怪事がつづき、結局、祠として祀ったという話も残っています。

このウラログへのコメント

  • ふくさと 2016年04月26日 08:08

    何とも人間の欲ぶかさと生々しさが分かる歴史ですね。
    それに残酷さも重なってます。
    にしてものんともかんとも嫌な話ですね。

  • たか 2016年04月26日 09:38

    皆殺しですか…

    見せしめの意もあったのでしょうが…

  • ひのじ 2016年04月26日 12:43

    初めて知りました。
    でもこの頃ならこういう話は珍しくなさそうですね。

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