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愚痴と過去を振り返って。

2010年08月22日 07:39

今日は2時間で帰らされた。
くそっ、週1日出勤二時間労働じゃどう考えたってむり!

非常に複雑な気分w
色々考えてたら昔の事を吐き出したくなった。
自分はだめなやつなんで、読んで気分を悪くされたらごめんなさい。
苦情は受け付けない!w

男性ってのは、私からすれば憧れだった。
私も男になりたい。男になって女性を守りたい。母親も妹も、もちろん愛した女性を守りたい。それが男だと思っていた。
男は女に手を出してはいけない。力の差が有り過ぎる。
母や私を殴る父のような大人にはならない。
そう思っていた。

当時男になろうとしていた10代の頃は、私は体力と力だけが自慢だった。
気も強くて、男になんか負けないと意気込んでいた。
母は当時刑務所に入っていたので父方の家に住んでいた。
父はきまぐれな人で、気に食わないと私や妹(当時はまだ5歳だった)をボコボコになるまで殴る蹴る人だった。
私は妹を庇ったり、抵抗したりで生傷が絶えなかった。
父方に住んでいる叔父はロリコンで、さんざん性的虐待(?/風呂に突撃してきたり、財布を盗んだと濡れ衣を着せられて裸にされてからボコボコにされた。性的虐待なのかは正直微妙)を受け父に言ったが、庇ってくれない。そんな親だった。
妹はいつも私の後ろをくっついていた。
家族でこの子だけが私の支えだった。

中学校は楽しかった。
毎日が輝いていたように思う。
和太鼓と絵は、何もかも忘れさせてくれた。
中学3年生の頃二人の女の子に告白してフラれた。
けど今でも友達でいてくれる、本当にいいやつらだ。

高校生になって、初めて女性と付き合った。
大好きだった。この人を守らなければと思った。
彼女と遊ぶため、家を円滑に回すためには金が必要だった。
学校に行くよりもバイトの方が多くなった私は高校中退して仕事についた。
幸せになる為に、必死だった。
けどその内体を壊した。
ヘルニア喘息を患い、今の仕事が出来なくなった。
将来介護士になりたかったが、医者に止められた。
私は仕方なく、昼間は金融、夜は居酒屋で働くようになった。

金融の仕事はとにかく時給がよかった。
けど貯金、家、彼女にかかるお金には到底追いつかなかった。
私はまた寝る暇もなく働いた。
そしてまた倒れた。
当時17歳、体力の限界を感じ始めていた。

その後私はアパートを借りた。
友人のツテで安く借りられた。本当に感謝しています。
この頃PCを買った。今までネカフェでやっていたのとは違い好きな時間に好きなように動かせる。
彼女と二人でフラッシュを見て笑いあって、本当に楽しかった。
時には友達が泊まりに来たり、時には妹たちが泊まりにきたり、小さいけど最高の家だった。
けどかかる費用も増えて、今まで以上に働かなければ自宅、実家、彼女貯金はとうていまわせない。
私はがむしゃらに働いた。

中卒だと馬鹿にされても、意地で働いた(結局半年後に店長と大喧嘩して辞めたけどw)
妹が男関係でイライラした母に殴られたと連絡してきたら諌めにも行った。
彼女が寂しがれば体調がどんなに悪くても会いに行った。

そうやって病院も行かなくなった18歳。
その頃彼女に言われた。
「俺(彼女一人称)と結婚したいなら男になってくれないか」
私は女のままでも彼女を守れると思っていたが、違ったみたいだった。
彼女は性転換した私がいいと言った。
私は悩んだが、知り合いのオナベさん(性転換手術を控えた方)のツテで闇医者に行った。
私は精神科医に許可を貰っていなかったからだ。
そこでホルモン注射を月2回打つことになった。
ホルモン注射は痛かった。その上きもち悪くなったり、熱が出たりする。
決して安くもないのだが、必死に働いた。

しかし注射を始めて数カ月して、体が動かなくなった。
母親との喧嘩もまた増えた。
なにもかも嫌になった。
なぜ私が必死に働いてるのに、彼女はありがとう一ついってくれないのだろう?
なぜ両親は私を認めてくれないんだろう?
誕生日に美味しいレストランにつれていってプレゼントを渡した。
夏祭り彼女浴衣着付けて一緒に行って、好きなものを買った。
両親の誕生日には必ず外食に行き、お金を包んだ。
クリスマスには横浜のいいホテルを予約して、彼女がこうしてほしいという事はなんでもやった。
両親がやってほしいことは出来る限りしてきた。
なのに、ありがとうと言われた事はあったか?
喧嘩してごめんなさいはいつも私だった。
親や彼女に強く言うことも、悪い事を叱ることも、私はしたことがなかった。
私が悪者で済むならそれでいい。
今思えば、完全におかしかったと思う。

それから私は掛け持ちの仕事を辞めた。
何もかもやる気が失せていた。
マッサージの仕事だけが楽しかった。
けど生活は苦しくなった。
家賃もまともに払えなくなった。光熱費は尚更払えなかった。
結局親が嫌で飛び出した家を、親に頼って家賃を払ってもらった。
その家賃代を、私はまだ彼女に使っていた。
既に男性ホルモンは打てなくなっていた。

そういう生活を続けて私はいつのまにか19歳になっていた。
誕生日彼女からメールがきた。
嬉しかった。会いたいと思った。
けど当時、私はなぜか会っちゃいけないと思った。
なにか悪い予感がした。
その予感は見事に当たった。

5月中旬、私は母の仕事の手伝いをしていた。
昼食を食べに行こうと思っていたら、私の働いていた職場から電話があった。
実は以前より、新しくできた大きな温泉施設が桜木町にあり、そこの優待券が欲しいと会社に話していたのだ(会社が同じ系列だった)
そこで、優待券がもらえるという報告だった。
私は舞い上がった。
ここ半年はまともに彼女と遊んでいなかった(当時私はうつ病にかかり仕事以外は家に引き篭もっていた)
たまに会って少しお茶をするくらいの付き合いだった。
彼女は前々からその温泉施設に行きたいと話しており、私はすぐに彼女に電話した。

「はい・・・ひよこちゃんってだれ?」
男がでた。
ひよこちゃんってなんだろう?
聞けば私の名前がそう表示されたという。
男は彼女彼氏だった。
2月から彼女と付き合っているという。
声がでなかった。
彼女の友達で私の大嫌いな女が電話を変わった。
アホなしゃべり方をする彼女は私のしゃべり方が愛想がないと怒り始めた。
私は真剣なんだ、それだけ返すと黙った。

翌日彼女から言い訳の電話が腐るほど来た。
私が相手にしないと分かると、彼女は「もこが構ってくれないから悪い」「病気になるなんて貧弱な証拠」「お前なんか男になったって無理」と開き直って言った。
もうこれ以上は話せないと思い、電話を切って着信拒否した。
涙が一滴も出なかった。
ホルモン注射の跡だけがむなしく残った。

その後彼女とは一度も顔を会わせていない。
私は実家に帰った。
家賃の滞納分は40万を越えていた。
もう何もやる気が起きなかった。
彼女から手紙が届いていた。
「もことのSEXが忘れられない」
死ねばいいと思った。

だらだらと仕事を続けていた。
生活がマッサージだけでは無理になり、紹介された風俗で働いた。
しかし少々デリケートな部位に傷を付けられそれも辞めてしまった。
うつ病が悪化してマッサージも辞めた。お客様が逆に私を心配するようになっていたから。
親父は私を怒った。弱い人間だと罵った。
給料を稼げない私はお払い箱だった。

生きる価値も希望もなかった。
することといえばネカフェに行ってマイケルジャクソンのDVDを見ながらぼーっとすることだけだった。
そのころ山梨同級生川崎に越してきた。
同級生は私をひどく心配し、家を出て一緒に暮らそうと言ってくれた。
そして現在、同級生とその弟と三人暮らしをしながらのほほんと暮らしている。
ちなみに去年女性ホルモン注射の治療が終わり、大分元の体に戻りました。
声はまだ低いけどw

あーなんか長くなったw
面倒だからこれでやめる。
最後まで見てくださってありがとうございましたw

このウラログへのコメント

  • ジン 2010年08月22日 08:35

    これまでの苦労と頑張りが 報われるこれからでありますように。
    気のきいた事、書けなくてゴメン

  • richard0 2010年08月22日 08:47

    今までの自分にケリをつけて、変えたいんでしょうね。未来は違う幸せを求めて生きていって欲しいです。

  • みちぼ- 2010年08月22日 23:57

    貴女が男性に興味が沸かない原因は、親父さんや、叔父から受けた性的虐待に原因ありそうだ。辛い過去ですね

  • tomo 2010年08月23日 00:13

    辛い話よく話したね、話すことは良い事だよ、勇気いるしね
    話せるなら何でも聞くよ

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