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無我の境地に達すると相手のためにいくらでも

2008年04月26日 09:25

女性を長い時間激しく責め続けることはかなりの激しい運動で心臓などに負担がかかると思っていた。以前は挿入してから激しく責め続けて1時間で外出しする、すぐに拭いて2度目の挿入というというやり方だった。射精が近くなると倍速にして動いて促進させるのだが、2度目くらいになるとなかなか逝かないので倍速が長くなるこれが疲れるのだ。女の子は最初の1時間で何度も逝っているので2度目はいらなかったのかも知れない。

疲れるからしなくてもいいとも思った、はじめると長すぎると吃驚されたり、「凄い上手いっぱい女の子いるんでしょ」と言われたりしてあまりよく思われない。だから付き合ってもなるべく手を出さないようにしてきた。

何年も逢ってなかった女の子から「抱いて欲しい」と連絡が無かったら忘れていたころだった。自分が逝くことは気にせずに女の子を満足させるように抱いた。そうすると全然疲れないのだ。
締め付けが強烈な子なので入れるのは苦労する、きつい分さらに硬くなる持続力はさらに増す、自分が逝っても逝かなくてもいいと思うと気は楽になる。逝きっぱなしになれるようになったのはその頃だった。それからは挿入して責め始めて間もなく逝きっぱなしになってしまう。快感は以前とは比べようが無いほど深くなったようだ。僕のほうは強烈な締め付けを楽しむことが出来るようになった。そして責め続けること自体は運動と変わらず楽にいくらでも続けられる、そして1時間でも2時間でも続けたあとに好きなときに射精も自由自在なのである。

以前と挿入時間はあまり変わらない、ただ以前無理に射精しようとしていたが今は射精しなくてもいいと思うだけで、楽になったということだ。女の子が何度も逝ったのが、逝きっぱなしになったということ。それに併せてそのまま何時間も責め続けてしまうこと。それでもそんなに疲れない、そのまま逝かなくても不満は残らない女の子のほうは充分満足しているから。
無我の境地ということだろうか。
ここを理解して相手のことを思って抱けばいくらでも続けられるということだろう。

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