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「創造」という大嘘

2013年11月02日 12:57

我が国で暮らしていると意識しないことですが、…いや、これは良く言われる「日本の常識、世界の非常識」的な話でなく、むしろ逆の事例です。


これはキリスト教文化圏で生まれ育った人の話、と思ってください。


特に米国人


彼らは国の成り立ちが宗教絡みで、それ故キリスト教原理主義が幅を利かせるようになるのも道理な訳ですが、

彼らの考え方で日本人として一番違和感を覚え、越えられない壁を感じるものはズバリ、「創造」に関することでしょう。


端的な例。

米国では今でも、学校で進化論を教えてはいけない州がある、と聞いて貴女はどう感じますか?


何の話?


と思いますよね。


我々は幼少時からその考え方に親しみ、すべての理解がそこから生じています。



それが、米国人に多いキリスト教原理主義者たちは…


彼らにとって、この世で一番大切な本は「聖書」です。


それは彼らは、聖書に書いてあることは全て真実であると信じているからです。


いや、冗談や喩えで言っているんじゃありませんよ。


彼らは本気で、聖書に書かれていることは全て真実である、と信じています。


(ま、そうした根っからの原理主義者は米国社会でも少数派ですけどね…)

しかしそこまで宗教的に洗脳された状態でなくとも、聖書根本原理たる「天地創造」を信じ、受け入れている人は実に多い。


わしも、話していて最初にそういう人に遭遇した時にはそれは面食らいましたよ。


進化という考え方は英国人が創始したものですが、これを否定する人が今だに大勢いる、社会の数割を占める、という国を貴女は想像出来ますか?


米国の新聞を読んでいると、時々これ関連の記事が載ります。大体、地方都市で学校が進化論を教えた、或いは教えようとしたところ、父兄から抗議があった、という内容です。

で、反対する人は何を根拠に反対するのか。


それは、嘘を教えるな、聖書にはあらゆる生物は神が創造したと書いてある、というものです。




冗談じゃありませんよ。

21世紀の今日でも、そんなやり取りが全米各地で行われています。


趨勢としてはそうした勢力は徐々に勢いを失いつつあり、その分、彼らは焦っている、というのがわしの見方です。

彼らは学校で創造論を教えさせるべく、手を替え品を替え教科書にその内容を盛り込ませようとします。

例えば、intelligent designと称して、生物の身体を研究すると、単なる進化では説明出来ない、「神」の存在を仮定せざるを得ない部分がある、という考え方を紹介させようとする、などです。

(余談ながら教科書というものはそれだけ影響力が大きなもので、軽々しく扱うことは決して許されない超重要アイテムだということです。近隣諸国の謀略に負け、政治の駒にするようなことをしていては国家の存続は望めません。この点、歴代の自民党政権の責任は甚大です)




そして、米国社会を見ていると、キリスト教原理主義が原因となっている問題が実に多いことに気がつきます。

例えば、妊娠中絶

良いことでないのは当然ですが、その制度自体を批判する声を日本国内で聞いたこと、わしはありません。

しかし米国では…

選挙の時の踏み絵の一つで、候補者は自らがpro-life中絶反対派)であるか、pro-choice(中絶肯定派)であるか、はっきり表明することを有権者は当然のこととして求めます。

大括りな区別では一般に共和党支持者にはpro-lifeが多く、民主党の支持者はpro-choiceが過半数。

地域別では南に行く程キリスト教原理主義的傾向が強く、人々の考え方として教義に忠実になる傾向があります。


それは、「創造論」の受け入れ率でも同じ傾向である訳です。


で、わしが何故これを問題と捉えるかというと…

お読みの方に熱心なクリスチャンがおられたら先に謝っておきます。わしの考えはあなたには受け入れららないものですし、あなたはわしを殺したいと思うでしょう。

ま、そこらの酔っ払いの戯言と思って聞いてください。


歴史上、キリスト教ほど多くの血を流して来た宗教はありません。

キリスト教の教義は隣人愛、奉仕善行等、愛と平和を説く立派なものですが、

欧州の時々の施政者達はキリスト教会とその支配構造を政治に利用して来ましたし、教会の側もそれを否定せず、自らの基盤強化、安定存続の一助として持ちつ持たれつの関係を享受して来ました。


それは何故か。



キリスト教の教義として、唯一絶対の神への服従を強います。この部分が権威への平伏という構造、心理的な依存につながり、施政者はそこを利用した、ということなのでしょう。



(余談ながら、宗教政治の道具となるのは歴史の常で、我が国でも仏教がそうした扱いを受けて来ました。施政者にとっては当然の選択なんでしょうね。)



キリスト教宗教としてではなく、政治の道具として機能した例としては、15、16世紀の植民地競争の時代、スペインポルトガルが取った戦略を挙げることが出来ます。

彼らがアフリカ中南米の国々を侵略し、植民地化した際にどういう戦略を取ったか?

彼らはまず、宣教師を送り込むのです。

そしてキリスト教の教義に触れたことがない「未開」の民を「教化」するのです。

彼らの世界観ではキリスト教こそが唯一絶対の真理であり、その他全ての宗教は邪教です。


そこに現地に産まれ、根付いて来た在来の宗教世界観に対する共感リスペクト等は一切ありません。


要するに、今の言葉で言えば彼らは常に常に「上から目線」であり、お前ら原始人に文明というものを教えてやる、服従せよという感覚なのです。


隣人愛を説く宗教が何故もこう、変節するのものなのでしょうか。



わしはそれは、聖書の冒頭に登場する「天地創造」にあると見ています。


神はこの世を作られた。

まず神の形に似せて男を作り、次にその肋骨から女を作られた。

そして人間に奉仕させるため、あらゆる動物を作られた。




これが彼らの世界観根本にある考え方です。


こんな教えを幼少時から刷り込まれれば、間違いなく

神 → 人間 → 動物

という順位が出来上がります。これは優劣、上下関係の順位です。


そして悲しいことに、欧州キリスト教信者達は、その「人間」に順位を付けたのです。

進んだ文明を持ち、キリスト教真理に則り生活している欧州人が一番。

その他は人でないから、好きなだけ搾取してOK。



欧州人はこの考えに基づき、世界各地で目を覆いたくなる収奪を繰り広げました。

結果として反省が生まれ、カトリックに対しては宗教改革が起り、人々の意識は変わって来た訳です。


現代の欧州では協会の影響力は限定的で、日曜日ごとに必ず教会礼拝する、というのはごく限られた層であるように見受けられます。


対照的に米国では、キリスト教原理主義的思考が社会の大きな部分を規定しています。


先の選挙の際の有権者の関心事項が一つの良い例です。


(裏に続く)

このデジログへのコメント

  • ベソ 2013年11月05日 13:57

    > amyさん
    裏に続く筈が…

    途中まで書いて、読み直しては修正し…を繰り返してます。

    勢いで書き始めたけど、結論が定まらない。もうしばらくお待ちを。

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