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夢の話

2006年06月20日 04:50

今朝の明け方夢を見た。

それでその夢を見ているときにこれは面白いから残しておかなければならないと思っていた。 けれど、夢というものは誠に儚く朧なものであるから, そのストーリーがはっきりしていたり登場人物達の言葉が残っていない限り目覚めた時から衰退が始まってあやしくなりはじめる。

今、書いている段階でもう既にかなり怪しくなっていて大体この話のポイントは何だったのだろうかと思い出そうとしているのだがそもそもそういうポイントが在ったのだろうかわからないままも既にそのポイントらしい曖昧としたものもカーテンの隙間に尻を残してきえていくとの感をもち、これでは誠に覚束ない。

大体、私が見る夢にポイントがあるかどうか。ほとんどあったためしがないし、ほとんど夢をみることはない。 ひとは一晩に何度も夢を見るものだしお前はそれを覚えていないから夢を見る事はないというのだと言われそうだが、どちらにしても結局何も残っていないのだから私は夢を見ないということになる。また、フロイド先生の夢判断には阿呆メディアに氾濫する占いの類よりは面白いものの全て承服、納得できるというものでもない。

高校のとき友人のひとりがよく夢をみて始終枕元にメモ帳をおいていて目覚めたときすぐにその晩見た夢をメモしていたと聞いた。そのうち自分の希望するように夢を操作できるようになったということだ。 誰と誰を夢の中に登場させてこんな状況の中でこういう風に行動させる、というふうにだろうが、どれぐらい正確に操作できるかは聞き漏らしたが、そのときそんなことをしてもつまらないなあ、とぼんやり思ったことを記憶している。 もちろん、自分がヒーローになり、気に入りの女子とねんごろになるという夢の中の実践と実行がかなうその友達に対して火の様な嫉妬を感じていたことは当然である。

さて、私が見た夢である。 ポイントが掴めない、というか多分ないのだろう、という気がするのだが、その夢にはストーリーなど元々なかったと感じている。 だから、なぜ夢の中でこれは書き記しておかなければならないと思ったのか、それはひとえにその時の印象に惹かれたからだろう。 印象というのは厄介なものだ。

登場人物であるが、第二次世界大戦後を現代と規定するならばオランダの現代代表作家であるヘルマンス(Willem Frederik Hermans、http://www.oranda.or.jp/
このサイトの文化、芸術文学の項参照)が脈絡もなく出てきたことだ。 別段読んだことも会ったことももともと関心があったわけでもない人間が自分の夢に出るのである。そこでおっとり刀でネットの関係サイトを渉猟して見るのだが心に思い当たるところが皆目ない。 面妖なというのが夢であり、また、そのことに意味があるのかを探ることに関わると限りない暇つぶしが出来るとの印象をもつけれど、私にはここでは兎も角この項続くとでも言っておかないと今のところ収まりがつかないようだ。

(この項続く)

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