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カモメと雑巾

2017年12月18日 04:26

"鴎とぶ汚れた空の下の街 ビラを幾枚貼れども貧し"

私の街の空も、使い古した雑巾の色をしている。梅雨入りして三日目の夜明け。降り続く雨のやさしい眠りに、私はベランダ煙草を吹かし目を覚まそうとする。
うごめく雲と雲のわずかな隙間から、かすかにあえぐ陽の光が射している。眼下を貫く環八を赤いトラックが一つ、黄色いタクシーが一つ過って、街はふたたびしずかになった。
人はいつも速すぎるのだ。空の速度を追い抜いて、生活がまた始まってゆく。鴎は飛んでいるだろうか?

"あれが鳥だ。
大空に縛られた存在。
動くことを強いられた
被術者。
世界の外から
悪意の手によって投げこまれた
礫だ。"

バイト先のスーパーの近くには、小さな喫煙所があった。14時半の休憩に、私はそこでたばこを吹かした。
雨空と同じ色で溶けてゆく、昼間の煙が好きだった。
おまえは空へとかえるのかい。私も一緒につれていってはくれないかい。
茹でた卵のような私の感傷は、煙にさよならを言わないほどに膿んだ自己愛でしかなかった。それはほとんど悪意と見分けがつかない。
勝手に火をつけたたばこの、勝手に空を飛ばせた煙に手を曳いてもらおうだなんて、あまりに子供じみちゃいないか。
愛はさよならにあるだなんて、みんな十九歳にもなれば気づくことさ。
私は何でも遅すぎるんだ。

梅雨が明けるころ、私はバイトとともにたばこをやめた。真昼の抜けるような青空を、白い飛行船がゆっくりと過ぎてゆくのを見つけたからだ。
今なら言えるだろうか、煙にさよならを。

"道なかに衄血せしことの寂しくて歩みくればめぐる夜の矢車"

ヘッドライトが無数の雨粒を白く加速させる横に、ビニール傘が転がっている。
ビニール傘はかなしい傘だ。買われて捨てられて盗まれて壊れて、誰のものにもなれない540円の透ける孤独。それはスローモーションで叩きつけられる大粒の雨に、一粒、二粒と見えない血を垂らす。
風がざっと吹いた。
傘はからから転がった。
道路の真ん中へとおどり出た。
黒いセダンにはね飛ばされた。
骨とアスファルトのぶつかる音が、どこか遠くで聞こえる。
私は自分の傘を持ったまま、片手で右耳をおおう。それから、ゆっくりと目をつむる。鴎よ。

"たった一人のマラソンランナー走るのみ 雨の土曜日何事もなし"

そうして、また朝が来る。隣の部屋から漂う味噌汁の匂いに混じって、やわらかい雨の匂いがする。私は一人で煙草を吸いながら、雑巾色の空を眺めている。眼下を通る環八沿いの歩道を、一人の男が駆けていって、街はふたたびしずかになった。きっと、鴎がこの街を飛ぶことはないのだろう。
あと三時間ほどで、出勤の時間になる。さあ、生活を始めよう。

梅雨が明けるころには、このアパートにさよならを言わなければならない。
次は海のみえる街がいい。青い海がベランダからみえる街。鴎は飛んでいるだろうか?

このウラログへのコメント

  • 白秋 2017年12月18日 11:01

    次も楽しみにしています

    ここでこの文章が読める事の前には
    作者がいくつだとか 男だとか女だとか関係ない
    そう思わせます

  • さき(..) 2017年12月18日 16:48

    > 公孫樹さん
    前の日記とこの日記、ともにコメントありがとうございます。
    身に余るお誉めの言葉、恥ずかしいけど嬉しいです。

    いつになるかは分かりませんが、次も必ず投稿します。

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