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直面している苦しみからの逃避としての、おいらにとっての和尚の言う瞑想

2010年04月13日 00:41

おいらは1980年ころ、自分がその前に起こした爆弾事件により指名手配されているという現実と、その逃亡生活の中で親しい人が、お互いの人間関係などを話し合うことをとおして、目覚しい健康の回復を遂げたことに触発されて、心理療法的な書物を読む中でおいらの戦いの誤りを自覚し、そういう心理療法に関わる仕事をするのが自分のライフワークだと考え始めていたこととの間で、心理的に引き裂かれるような苦悩の中にいた。
 おいらは心理療法的な世界に魅了され、そのようなワークに参加し、いろいろな心理療法を受けて自分自身を取り戻すとともに、そうしたことを深く学んで、自分自身が人々の精神的な苦しみからの解放を援助できるような人になりたい、そんな思いを強く持つようになっていた。独力で、本にかかれていたライヒの自然呼吸法を試みて、20歳頃の失恋の激しい苦しみを再体験し、何も分析的な話をすることもなくそういうことが起こることに、新鮮な驚きを感じ、ますますそうした世界をもっと深く学びたくなっていた。
 しかし指名手配されているという現実は、そういうことを極めて困難にしていた。第一自分で働いていたわけではなかったから、そういうワークを受けたりする金がなかった。また指名手配されていることが見破られることを恐れていて、そういう場に自分のさらすことを恐れた。そういう場に出たとしても、自分の苦しみについて明らかにするわけには行かなかったし、いろいろうそを言わざるを得なかった。事実おいらをかくまっていてくれたグループが、おいらのそうした志向の影響もあり、自分たち自身でさまざまな心身の健康法に関わるワークなどに参加し、やがておいらをかくまってくれていたグループ自体がそうした運動の一つの中心になり、そこに多くの人々が訪れるというようなことも起こる中で、おいらはおいらがそこでかくまわれていること自体が、そのような運動の広がるのを阻害する要因となっているのを感じざるを得なかった。
 おいらはその人たちの場に参加せざるを得なかったし、しかしそうすればうそを言わざるを得なかったし、かくまってくれていた友達たち自身も、おいらのことについていろいろと配慮せざるを得なかった。

 おいらはそのような状況に甘えて生きていきたくなかった。巣来なくとも事件を犯したのは自分であり、いつまでもその人たちに経済的な支援を受けているわけには行かなかった。自分の事件の誤りを時下屈すればするほどそこから来る困難は自分で引き受けるしかないと感じるようになっていたからだった。
 そのようなときにたまたま御茶ノ水丸善で、後に和尚と呼ばれるようになった、バグワン・シュリ・ラジニーシの、『生命の歓喜』という本を買い、近くの喫茶店で引き込まれるようにその本を読んだ。生きることの喜びを全面的に肯定する、何かとてつもなくおおらかで深く、豊かな世界をそこに感じた。おいらはその本の中でバグワンが、おいらの苦しみは、おいらが無自覚に生きてきたことから起こっており、そこから解放されるためには瞑想し、何ものによってもけして打ち消されることのない、至福の世界、覚醒の世界に辿り着くしかない、そのようなメッツセージを読んだ気がする。おいらはそのとき、これこそがおいらの求めていたものだというような強い感覚を抱き、その後和尚の本にのめり込み、そして指名手配されていることが見破られることを強く恐れつつも、彼の日本人弟子たちが開いていた荻窪などにあった瞑想センターに通い、毎日ように瞑想するようになっていった。そしてその年の終わりには、アルバイトをはじめ、経済的にも自立するようになっていった。
 だけど、今からこのときの状況を捉え直してみると、和尚が言う瞑想法は、おいらが直面している苦しみからの逃避にしかなっていなかった気がする。おいらはそのころ直面していた、過去を克服しようとすれば現実がそれを疎外する、というようなどうにもならないような状況に直面することから逃げ、そのような苦悩を感じることを止めていられるように、何も考えないで呼吸を見つめるとか、そういう瞑想法の中に入ろうとしていた。しかしバグワンの瞑想法にはカタルシスの部分も、楽しい踊りの部分もあり、ひとときはわれを忘れてもいられた。要するにおいらは直面している苦しみから逃れて、悟るとか覚醒するとか言うことに憧れ、そういう状態になることで、現実の苦しみから逃れられるようになろうとしていたともいえる。
 バグワンの弟子へのアドバイスなどの中にも、自分の直面している苦しみに関し、具体的に見つめなおすようにといったアドバイスがなかったとは思わないけど、基本的にはおいらが後に飯田さんに勧められて行ったような、なぜ自分がそのような苦しみに陥っているかを、それまでの自分の行為や思想、価値観世界観人間関係観などに関し、具体的に詳細に見つめ直す事を勧めるようなアドバイスは少なかったと思う。
 強調されていたのはダイナミック瞑想などによるカタルシスと、自分の思考や感情
想念などを見つめ、それからすこしづづそうしたものから距離を取れるようにし、究極的にはそうしたものの一切浮かんでこない、無心の境地、覚醒の境地を達成しなさい、それが起こらない限りあなたは苦悩から自由になれないと言うようなメッセイジだった。
 瞑想センターに出入りするようになったおいらに対し、彼の弟子たちはやはりそうした瞑想法について、あるいは自分が思考などから少しも自由になれないことなどに関しては良く話していた。しかしおいらが何か大変な苦悩を抱えていることはおぼろげながらも感じつつも、おいらがどのような人生を送ってきて、どのようなことで苦しんでいるのかを、深く聞こうとするような人はほとんどいなかった。そういう話し合いそのものがほとんどなかった。

 おいらはそういう中で、ある意味で過去のことを深く考える必要もなく、瞑想にふけっていればよかった。というような形で、おいらの場合は、和尚のセンターに通ったりすること、そこで自分の過去に深く触れることなく瞑想バグワンのことを話したりして過ごしていればよいことの中に、逃避していればよかったのだ。それだけが全てではないけど、そういう面もある気がする。

 しかしそういう中でもおいらは自分自身を詳細に見つめるための準備をしていたのかもしれないし、ひとときであれ余りに深い苦悩から逃げ、かりそめのものであれ、すこしおだやかな生活をすることができたのは、それはそれでよかったのかもしれない。ただ、こうしたことの中にも和尚のやろうとしていたことの中には、不十分なところや、人が自分を見つめという道筋に関して、開発、ないしは考えきれていないところはあったのだと思う。和尚を覚醒していて、およそなんでも知りえることは知りええている超能力的な人だと考えれば、そのような不十分さは考えることもできないが、彼も確かにとてつもなく深い何かを体現していたことは事実だとしても、いまだ知りえていなかったこともある、限界もある普通の人間でもあると考えれば、それをもってバグワンを、和尚を否定することなどできない。非常に卓越した人だったけど、彼も全てを知りえていたわけでもなく、何かよりよい自分を見つめる方法があれば、それに付け加えることをなんら躊躇しなかったのではないかと思いもする。

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