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周恩来と桜

2016年01月14日 12:47

周恩来と桜

DVDで『BONES』
最新シリーズ 視聴
ギャンブル依存症
己の弱さと向き
合うブースだが…


迷子
ハイ! 大得意(* ̄∇ ̄*)


超弩級方向音痴です!(×_×;)!





例えば、ビルのエレベータ
目的階で降り、右に曲がるとする。


昼食で一旦外出。戻ってきた時に、平気で左に曲がったりする。


バカだ俺┐(-。ー;)┌





ところが、都内23区内限定ならば、家探しは大の得意。住所が判れば、初めての土地でも然程迷わない。中野区新聞配達してたお陰。


東京の地名は、昭和44、5年を境に現在の名称に改められた。


神社があれば「氷川町」
桃の香り漂う「桃園町」
花咲き乱れる「華州園」
etc.


本来なら意味があった地名も今は全部「東中野」になってしまった。


戦後焼け野原東京に、東京若者は死んでしまって居なかったので、お役人警官地方出身の人が多かった。


古くからの地名に愛着等ある訳がない。その改ざんに容赦はないし、管理しやすいように整理された。


だから、法則性が判りやすい(笑)


かくして、私は23区内の街中なら、まず道に迷うってことはない。


















中野区の区報に周恩来総理の噂が載ったことがある。


どうやら、東中野に居たらしい。


若き日の周総理足跡としては、新宿早稲田神戸が有名。関東大震災の直前まで日本に居たのは確か。東中野に住んでいたとして不思議じゃない。


有志が集まり、古文書等をあさり、古くから東中野に住む方々を訊ね歩いては聞き取り取材を重ねた。


そして、満州鉄道にお勤めだった赤羽氏の御自宅が東中野5丁目にあったこと、赤羽邸がその離れに中国の青年を書生として住まわせていたこと、等が判った。


大正当時のその一帯は、桜並木が見事なことから「華州園」と呼ばれていた。


日本の思い出に絡めて、桜の花をこよなく愛した周総理


若き日の周恩来青年には「華州園」の桜並木がどのように映っていたのだろう?















郷土史の研究って、地味なんだわ。けど、やると嵌まるかも(笑)

このデジログへのコメント

  • cho-co 2016年01月14日 13:26

    由来のある地名から色んなコトが紐解けたり。
    覚えやすかったりあるね笑

  • ウルトラ7 2016年01月14日 14:33

    > cho-coさん

    笑ったのが

    文献にしか出てこなかった
    『華州園』の呼び名
    東中野5丁目を歩いている時に
    ヒョイと見上げて見ると
    電柱の個別の認識番号が

    『華州◯◯番』

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