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弱いということは悲しいということ。

2014年11月18日 15:04

うまくまとまりませんでした。
自分の中でまとまっていない証拠ですね。
しかも長い。。。
典型的な悪文ですね。
よくわからない文章になってしまいましたが
よろしかったらどうぞ。

ワタクシ割と何でも卒なくこなせると言いますか
何でも無難にできる能力を授かっておりまして。

そのせいか
昔から
『傲慢かまして良かですか?』
というスタンスでした。

能力があるものが上で当然。
弱いものは物申すね!
嫌だったら強くなるように努力しろ!
という考え方ですね。

当然
障害者とか老人とか
生産性0で
税金も払っていない奴らの権利は小さくて当然。
むしろ
税金払っていないのだから
国の保護外でも良いのではないか?
とすら思っていました。
うーん
傲慢かましてますね。

そんなワタクシでしたが
ある時
障害児が生まれしまいました。
その時から
心の中で矛盾が生じてしまいました。

弱い奴は氏ねくらいに思う気持ちの一方で
うちの子供に死ねと言われても困るなー
生きていて欲しいしなー
といった具合です。

心の中の矛盾は本当に困ります。
すっきりしません。
今でも完全にすっきりしていません。


話は変わりますが
今の法律って
自己主張するのが前提で作られています。

俗に言う
「権利の上に眠るものは保護に値せず」
というやつです。

しかし
日本国民全員が
健常者で一定水準のレベルがある
というのが前提のような気がします。

しかし
知的障害者認知症
その他
自分のことを
うまく表現できない人は結構います。

健常者の中でもうまく表現できる人とできない人がいます。
うまく表現できる人が有利な世の中となっています。

うまく言えないのだけれど違うのだよ!
そうじゃないのだよ!
みんなわかってよ!

と思ったことある人は
結構いるのではないでしょうか。

残念ながら
表現下手な人は
うまく伝えられないが故に
悲しい思いをするのです。
我慢するしかないのです。
虐げられるしかないのです。
それが現実だと思います。

表現下手=弱者という一面もあると思います。

今は
腕力のある人
口が達者な人
何らかの力を持っている人が
幅を利かせる世の中です。

弱い人は虐げられて我慢するしかない世の中です。

昔のワタクシみたいな考え方の人が増えたように思います。
弱い人が
我慢しなければならに度合は
相対的に高まっているように思います。



またまた話は変わるのですが
欧州貴族フランス貴族?の古い考え方の一つとして
noblesse oblige』
というものがあります。
ある、というか考え方ですね。
直訳は『高貴さは(義務を)強制する。』
一般的に財産権力社会的地位の保持には
責任が伴うという考え方です。
無私の奉仕と置き換えても良いと思います。

今、このような考え方をする人は減ってきています。

強いものが独占する。
独占の流れが加速しているように思います。

弱い立場の人には
益々
辛い世の中になってきていると思います。
おこぼれもない時代ですからね。



またまたまた話は変わりますが
全ての人は
いつか必ず弱者になってしまうという現実があります。

そう
加齢です。

年を取れば
例外なく弱っていきます。
高確率で障害者にもなっていきます。


健常者と言われている人は
自分達も社会的弱者になるという
将来的に必ず実現する現実を忘れているように思います。
(見たくないのかもしれませんが。)

自分が社会的弱者になった時に
言い換えると
切り捨てられる側になった時
今と同じ考え方ができますか?
という素朴な疑問があります。

また
自分の愛する人
大事な人が
弱者に陥った時に
(例えばインフルエンザ脳症で半身不随とか。)
役に立たないから
明日から死んでくださいと言われたら
しょうがないよね。
だって
弱者になっちゃったものね。
さようなら
と言えるのでしょうか?

他人様のことはよくわかりませんが
ワタクシにはできませんでした。
また
そういう世の中は嫌だなと思いました。

理想論にはなりますが
年をとっても
社会的弱者になっても
笑顔でいられる世の中が
やっぱりいいなと思います。

今でも仕事上で
弱い奴が大嫌いだし
愚図でのろまは
氏ねとかしょっちゅう思います。

一方で
障害者や老人には
暖かい目で見ることができるし
手助けは当然と思えるようになりました。

自分自身大きな矛盾を抱えていますが
まぁ
それが生きているってことかなと思い
矛盾を深く考えることはなくなりました。

確かに
弱い人達は強い人達に一方的に迷惑をかける存在です。
だから
強い人達が迷惑に思っていて
弱者切り捨て論が勢いを増すのも本当によくわかるのです。
今は強い者が被害者という側面も持ち合わせているのです。
しかし
弱者切り捨て論が行き過ぎると
世の中が不安・不安定化してしまい
うまくいかないのも事実なのだと思います。




強者で居続けるのは至難の業です。
また
いつ弱者に転落するか不安に思いながら
強者の位置にいるのも辛いのではないかと思います。
弱者に転落しても
それほど心配ないよ
という世の中の方が良いように思います。

なので
ワタクシは弱い人には
なるべく優しくしようと思っています。
(ワタクシ基準で甘えている部類に入るやつは別です。)
ワタクシが弱者になった時
誰かが助けてくれる保証はまったくありません。
しかし
誰かがやっていかないと
世の中は変わっていかないと思うのです。
変わらないかもしれない。
それでも
自分自身がすっきりするためにやる必要が
ワタクシにはあると思うのです。

自分の子供のために
ということが
大きいのかもしれませんね。

なので
これからも
弱いヤツ氏ね

弱者には優しく

いったりきたりしながら
生きていくのではないかと思っております。


『しなければならない』
では続きません。
実際
ワタクシできませんでした。
『したい』
に変わった時にやればいいことだと思います。
(ワタクシの場合
強制的にそうなったと言えるのかもしれません。)



皆さんはどんな世の中が良いと思いますか?


####################
白玉子様
うーーーーーーん。
必要な分だけというのが
どこを基準にすれば良いか
立場によって違うので難しいのでしょうね。

廃棄。。。
十分に考えられますね。。。
実際
私が子供の頃を考えてみると
冬に大量に牛乳余っていましたし。。。
今でも同じ現象があっても不思議じゃないと思います。。。

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