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成程話:「ゆるす」ことについて
2017年02月15日 23:53
「ゆるす」ことについて、日本一のお金持ちといわれている“斎藤一人”さんのQ&Aを紹介します。
Q 「ゆるせない」と強く思ったことも、ゆるせるようになりますか?
う~ん、心が広まってきたときだね。
そのたびに自分が苦しい思いをするとか、「人を恨みながらずっと生きてくのは嫌だな」と、ある日思ったりすることもあるよね。
そういう心の成長でゆるせるときもあるから、ゆるせる心の段階に来ていないのに「ゆるしなさい」と言ったってゆるせないよね。
だけど、考え方によっては、相手には相手の事情があったんじゃないかと思えると、100のものを99にすることはできるよね。
その1%でも下がると、自分が楽だよね。
Q 自分に罪悪感があって、自分をゆるすことができません。
そういう相談がくると言うんだけどね、人間って完璧じゃなくて、未熟なんだよ。
1年前はもっと未熟、2年前はもっと未熟なんだよね。
で、未熟に気がついたら、次からやらないように、100回間違いを犯しちゃってるんなら95にしようとか、少しずつ少しずつよくなっていけばいいんで、そんなに自分を責めたってね、人も自分も完璧じゃないから、間違いは犯すよ。
そのことがわかると、ちょっとだけゆるせるようになるから。
なにせね、ちょっとゆるせりゃいいんだよ。
人は幸せになるために生まれてきたんだよ
高津りえ著
マキノ出版
自分の小ささを知って、人の大きさを感じるときがある。
自分の傲慢さに気付いて、人の謙虚さに気付くときもある。
自分の未熟さを痛感して、人の温かさにふれることもある。
まだまだ未熟、まだまだ未完成、ということは、
もっともっと「伸びしろ」があるということです。
そして、「ゆるす」ことについては、お釈迦様の最期のお話を紹介します。
↓
お釈迦様(ブッダ)の最期、永遠の眠りにつく時のお話しです。
ブッダが80歳のとき、弟子のアーナンダを連れて、クシナガルという北インドの地を旅していました。
クシナーラを通るとき、鍛冶屋のチュンダは貧しいながらも熱心な仏教徒で、ブッダが来るということを知ると、とても喜び、ぜひとも食事をもてなしたいとブッダに願い出ました。
ブッダは喜んでもてなしを受けるんですが、食べた後、激しい腹痛に襲われます。
食中毒をおこしたのです。
それでも、ブッダと弟子は旅を続けるために出発しました。
その苦しみの中で、ブッダは弟子のアーナンダに言いました。
「私が死んだあとに、チュンダのことを悪く言う人がでてくるでしょう。
はっきりさせておきますが、それは違います。
チュンダの料理を食べたからこそ、私はついに涅槃に至ることができるのです。
スジャータの乳粥(以前スジャータという名の少女から施された乳粥を食べ、救われている)と、チュンダの料理は、私にとって最上の食事でした。
私のことでチュンダを恨む人間がいたら、このことをよく説いてやってください」
さらに、鍛冶屋のチュンダにはこう言います。
「あなたは私に大変よいことをしてくれました。
あなたは最期の食事を与えるために選ばれた人間です。
なかなか選ばれるものではありません。
大変な高徳です。
だから、悲しまないでください。
生ずるものは必ず滅するのです。」
お釈迦様が最期に教えたかった事、
それは、許すということかもしれません・・・
死の原因となった事でさえ、相手を許し、優しい言葉をかける。
最後にマザー・テレサの言葉を紹介して終わります。
↓
「もし本当に愛したいと願うなら、許すことを知らなければなりません」
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