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それが読みとられ、

2006年10月01日 17:30

感じとられる...のだから感性は、

ひどく個人的、
ただ一回限りの私の物と
思っていても、

人に通じ、
分ってくれると
思えるのだから、

この感性
それが私と思っていた
感性は、

誰が感じたのか?
人が感じたものか?

否、確かに私が感じ、
日本文に表明し、
理解しうる様に書き直した感性だから、
他人にも理解しうるのだ。
言葉に翻訳され、
日本語の文法に規制されて初めて感性となるのか?

そこで失われる ...
物はないのか?

否、それ以前に
私達は日本語の築き上げて来た季節感無常感に、

従順に感じ、
ているだけなのか?

個別的、個人的と
思えた感性は、

私が感じながら、
私の物でなく、

遠く縄文人...
万葉の人たちが
感じとり、感じ得た物を

感じているだけなのか?
言語の規制により、
それから外れると

理解されない
感性ですらない
余所人

言語に規制(寄生)する限りでの感性...

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