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私の性体験手記

2006年09月06日 12:12

2006/09/06 12:10
私の性体験を書いてみよう。

私が初めて性に目覚めたのは、なんと4~5才の頃。
まだ戦争たけなわの昭和19年頃だった。
当時は今の甲子園六番町に住んでいた。
まだ西宮市に編入される前の武庫郡鳴尾村字八ツ松と言っていた頃。
近所に1つ年上お姉ちゃんがいた。

私の家の前の路上で、2人でドンゴロスの袋に入って遊んでいた。
ドンゴロスって言うのは麻で編んだ大きな袋で、
米や麦などの穀物を入れるのに使われていた。
その袋の中で、そのお姉ちゃんが私のチン○ンに興味を示して、
触り始めたので、私もお姉ちゃんパンツを脱がせたのが最初。

その頃、久寿川にあった双葉幼稚園に通園していた。
幼稚園女子トイレは昔の汲み取り式で、和様の便所だったが、
床に近い壁際に小窓が付いていて引き戸になっていた。
多分臭気抜き用に付けられていたんだと思う。
女の子が入ったのを見計らって、男の子が数人でこっそり開けたんだ。
ところが女の子じゃなく先生だったから、
大目玉を食らったのを覚えている。

終戦時の昭和20年は小2だった。
戦後父親の転勤で、和歌山県箕島小学校に転校した。
父の会社の社宅に住んだのだが、近所に女の子がたくさんいた。
そんな中に1年下の幸子ちゃんと純子ちゃんがいた。
この2人がいつも家に遊びに来るんだ。
私の家の2階でお医者さんごっこばかりしていた記憶がある。

小5になった頃だった。
父の書斎の机の引き出しは私にとっては宝箱だった。
大人の道具類が凄く神秘的なのだ。興味津々で1つ1つ眺めていた。
その時、引き出しの奥から出てきたのが、春画写真だった。

それを見た途端、もの凄いショックで、私の股間が急に勃起したのだ。
初めての経験だった。私は急に大人に目覚めたのだ。
その写真を入れた袋の中に、コンドームが入っていた。
もちろん小5の子には何が出て来たのかは判っていなかったのに、
私はそれを勃起したチン○ンに被せたのだ。まさに直感だね。
この時、亀頭がこすれたのか、もの凄い快感に襲われ、
初めて射精しちゃったのだ。これが私のオナニー初体験である。

この後、1年下の幸子ちゃんと遊んでいた時、
2階の押し入れの布団に彼女を寝かせ、
パンツを脱がせ、写真で見たとおりに真似て、
彼女のオ○コに、私の勃起したチ○ポを押しつけたのが、
セックス初体験だった。もちろん押しつけただけに終わった。

和歌山田舎から甲子園に戻ってきたのは
その後まもなくで、昭和23年8月末だった。
小5の3学期からこっちの小学校に編入された。
こっちに帰ってきてからは、全然女の子に接するチャンスが無く、
高2の夏まで、オナニー一筋で悶々とした日々を過ごしていた。

高2になった頃、箕島にいた頃の知人の娘が
私の家に女中としてやって来た。今のお手伝いさんである。
中学を出たばかりの娘で、私より1つ年下だった。

その頃、父は再び箕島工場工場長として単身赴任していた。
その年の夏休み、母は父の世話のため、1日家を空けたのだ。
その頃、私は2階に1部屋もらって、寝起きしていた。
その日の夜、トイレに行くため階下に降りて、
弟たちの寝ている部屋の蚊帳の中を覗いてみたら、
女の子パンツ1枚のほとんど裸同然の姿で熟睡していた。

私はそっと彼女のそばに座って、パンツの上から股間を触ってみた。
その時、彼女が目を覚ましたのだ。
さすがに私は自制して、そのまま2階に逃げ帰った。
ところがしばらく経ってから、今度は彼女が上がってきたのだ。
「どうしたらいいの?」彼女が発した最初の言葉はこうだった。

しばらくお互いに見つめ合って、座っていたが、
当然我慢できなくなったのは私で、彼女を抱き寄せて布団に寝かせ、
パンツを脱がせたのだ。
昔、小5の時に女の子性器に押しつけてみたことはあるが、
セックスに成功したわけではない。
だからそうするものだと判っていたけど、
小4の女の子の無毛のオ○コじゃなく、16才の恥毛のあるオ○コは、
初体験である。全然やり方が判らない。
結局、またそこへ押しつけるだけしかできなかった。

なにしろ今と違って、セックスの方法なんて誰も教えてくれない。
私は父の引き出しから黙って持ち出した(盗んだ?)写真数枚が
参考資料で、それも春画(浮世絵)を複写したモノクロ写真である。
春画女性器は誇張されて描かれてるから、
パックリ大きく膣口が開いてる絵で、実際とはまるで違った。
どこに入れればよいのか判らないのだ。

もちろん愛撫なんてまるで知らない17才童貞男である。
ただやみくもに押し込もうとしたが、当然のことながら入らない。
彼女はもちろん「痛い、痛い」と泣き出してしまった。
結局、この日は未遂に終わった。

その翌日の昼間、学校から帰ってすぐ、彼女を部屋に呼んで、
再挑戦した。さすがに2度目になると多少余裕が出来て、
彼女性器をまともに見ることが出来て、
膣口を指で開いて挿入できたんだが、ただ入れるだけで終わった。
まさか腰を使ってピストンをするなんて知らなかったからね。
結局、とうとう射精せずに終わったわけで、
自分の意識では初体験とは言えなかった。
この時の感想は「なんや、全然気持ちええことあらへん」だった。

私がホントにセックスのやり方を知ったのは大学生になってからで、
それも麻雀仲間が入手してきたブルーフィルムを見たときだった。
ブルーフィルムというのは、暴力団違法に作った8ミリ映画で、
映写機を使って、白い布のスクリーンに映写するというもの。
当時はそれでさえ入手困難だった。

大学2年の時、祖父の家に引っ越した。
祖父は中小企業社長だったが、家業はそこそこにして、
専ら名誉職に奔走していた。
祖父は大阪商工会議所古参の常議員で、業界のボスだった。
父はその長男だったが、真面目が取り柄の凡庸な跡取りだったので、
孫の私を自分の手元に置いて、秘書代わりに使おうとしたのだ。

その祖父の家に古くからいた女中さんに美佐子という女性がいた。
年は34~5才で未婚だった。
この美佐ちゃんが私の身の回りの世話をしてくれていた。
彼女の個室は浴室の隣にあり、ガラス戸越しに室内がまる見えだった。
夏休みのある夜、帰宅が深夜になって遅い風呂に入ろうとして、
彼女の寝乱れた姿にモロに見てしまった私は、
股間勃起を抑えることが出来なくなってしまった。

こっそり彼女の部屋に忍び込んだ私は、
ほぼ裸同然の彼女に近づいて、恐る恐る剥き出しの太ももに触れた。
その気配で目覚めた彼女は、薄闇の中でにやりと笑いながら、
「ボン、したいの?」と言うんだ。
私は恥ずかしさで、口をもぐもぐさせて黙っていた。
彼女はツと手を伸ばして、私の股間勃起パンツから掴みだした。
「凄いわね。こんなに硬くなってるよ」と言って両手でしごいていた。
私はこの夜、初めてセックスを体験した。
その日からもう夢中だった。毎日毎日彼女とやりまくったのだ。

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