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長いぜ、おまえに読めるかな、ギャハハ

2018年10月28日 19:01

ちょっと長いけど、読んでみてください。

丸山眞男」をひっぱたきたい 31歳フリーター希望は、戦争。
 平和とはいったい、なんなのだろう?
 最近、そんなことを考えることが多くなった。
 夜勤明けの日曜日の朝、家に帰って寝る前に近所のショッピングセンターに出かけると、私と同年代とおぼしきお父さんが、妻と子どもを連れて、仲良さそうにショッピングを楽しんでいる。男も30歳を過ぎると、怒濤結婚ラッシュが始まるようで、かつての友人たちも次々に結婚を決めている。
 一方、私はといえば、結婚どころか親元に寄生して、自分一人の身ですら養えない状況を、かれこれ十数年も余儀なくされている。31歳の私にとって、自分がフリーターであるという現状は、耐えがたい屈辱である。ニュースを見ると「フリーターがGDPを押し下げている」などと直接的な批判を向けられることがある。「子どもの安全・安心のために街頭にカメラを設置して不審者を監視する」とアナウンサーが読み上げるのを聞いて、「ああ、不審者ってのは、平日の昼間に外をうろついている、俺みたいなオッサンのことか」と打ちのめされることもある。
 しかし、世間は平和だ。
 北朝鮮の核の脅威程度のことはあっても、ほとんどの人は「明日、核戦争が始まるかもしれない」などとは考えていないし、会社員のほとんどが「明日、リストラされるかもしれない」とおびえているわけでもない。平和という言葉の意味は「穏やかで変わりがないこと」、すなわち「今現在の生活がまったく変わらずに続いていくこと」だそうで、多くの人が今日と明日で何ひとつ変わらない生活を続けられれば、それは「平和な社会」ということになる。
 ならば、私から見た「平和な社会」というのはロクなものじゃない。
 夜遅くにバイト先に行って、それから8時間ロクな休憩もとらずに働いて、明け方に家に帰ってきて、テレビをつけて酒を飲みながらネットサーフィンして、昼頃に寝て、夕方頃目覚めて、テレビを見て、またバイト先に行く。この繰り返し。
 月給は10万円強。北関東の実家で暮らしているので生活はなんとかなる。だが、本当は実家などで暮らしたくない。両親とはソリが合わないし、車がないとまともに生活できないような土地柄も嫌いだ。ここにいると、まるで軟禁されているような気分になってくる。できるなら東京の安いアパートでも借りて一人暮らしをしたい。しかし、今の経済状況ではかなわない。30代の男が、自分の生活する場所すら自分で決められない。しかも、この情けない状況すらいつまで続くか分からない。年老いた父親が働けなくなれば、生活の保障はないのだ。
 「就職して働けばいいではないか」と、世間は言うが、その足がかりはいったいどこにあるのか。大学を卒業したらそのまま正社員になることが「真っ当な人の道」であるかのように言われる現代社会では、まともな就職先は新卒エントリーシートしか受け付けてくれない。ハローワークの求人は派遣の工員や、使い捨ての営業職など、安定した職業とはほど遠いものばかりだ。安倍政権は「再チャレンジ」などと言うが、我々が欲しいのは安定した職であって、チャレンジなどというギャンブルの機会ではない。
 そして何よりもキツイのは、そうした私たちの苦境を、世間がまったく理解してくれないことだ。「仕事が大変だ」という愚痴にはあっさりと首を縦に振る世間が、「マトモな仕事につけなくて大変だ」という愚痴には「それは努力が足りないからだ」と嘲笑を浴びせる。何をしていいか分からないのに、何かをしなければならないというプレッシャーばかり与えられるが、もがいたからといって事態が好転する可能性は低い。そんな状況で希望を持って生きられる人間などいない。
 バブル崩壊以降に社会に出ざるを得なかった私たち世代(以下、ポストバブル世代)の多くは、これからも屈辱を味わいながら生きていくことになるだろう。一方、経済成長著しい時代に生きた世代(以下、経済成長世代)の多くは、我々にバブル後始末を押しつけ、これからもぬくぬくと生きていくのだろう。なるほど、これが「平和な社会」か、と嫌みのひとつも言いたくなってくる。

NHKスペシャルワーキングプア」が見過ごしたもの
 2006年7月に放送された、NHKスペシャルワーキングプア 働いても働いても豊かになれない」を見ながら、私はなんとなく違和感を覚えていた。番組では、働いてもそれに見合った給料が得られず、生活もままならない人たちが、ワーキングプアとして並列的に紹介されていた。地方から東京に出てきて仕事を探すが、派遣でさまざまな土地たらい回しにされたうえに、ホームレスとなってしまった30代の若者。会社をリストラされ、一家を養うためにバイトをいくつもかけ持ちしている元サラリーマンイチゴの栽培が赤字で、家族全員の収入を合算してなんとか生活する農家。そして、一時は人を雇うほどの町一番の仕立屋だったが、今では小さな直しの仕事しかなくなってしまった職人年金は妻の入院費に消え、生活保護を受けようにも、「妻の葬儀代に」と手をつけないでいる100万円の貯金の存在が、生活保護を受給するにあたっての障害になっているという。
 一生懸命まじめに働いても、生活が成り立たない社会が正しい状態ではないことは明らかだ。普通の人が普通に働けば、普通に生活できる社会を構築するべきだ。などと、ごく当たり前でなんの面白みもない感想を頭の中で反芻していると、頭のなかにモヤモヤッとしたものがわき上がってきて、どうも釈然としない。このワーキングプアというくくり方は何かがおかしい――その違和感を突き詰めていくと、番組では「元サラリーマン」「イチゴ農家」「仕立屋」といった経済成長世代と、「ホームレスになってしまった30代の若者」「フリーターである私」というポストバブル世代の間にある大きな差違を、見過ごしてしまっていることに気づく。
 前者が家庭を手に入れ、社会的にも自立し、人間としての尊厳をかつて十分に得たことのある人たちである一方、後者社会人になった時点ですでにバブルが崩壊していて、最初から何も得ることができなかった人たちである。前者には少なくともチャンスはあった。後者は社会に出た時点ですでに労働市場狭き門になっており、チャンスそのものがなかった。それを同列に弱者であるとする見方には、私はどうも納得がいかない。
 特に、仕立職人が、妻の葬儀のために手をつけずにいる貯金のために、生活保護を得られないことについて、識者が「妻の葬儀の費用を自力でまかないたいというのは人間の尊厳であり、それを捨てないと生活保護を得られないことに問題がある」と述べていたことが気にかかる。それが尊厳だというのなら、結婚して家庭を持つことや100万円の貯金など夢のまた夢でしかない我々フリーター尊厳は、いったいどこに消えてしまったのか。
 格差問題の是正を主張する人たちは、高齢者が家族を養えるだけの豊かな生活水準を要求する一方で、我々若者向けには、せいぜい行政による職業訓練ぐらいしか要求しない。弱者であるはずなのに、彼らが目標とする救済レベルには大きな格差が存在するように思える。
 どうしてこのような不平等が許容されるのか。それはワーキングプアの論理が「平和な社会の実現」に根ざす考え方だからだと、私は考える。平和な安定した社会を達成するためには、その人の生活レベルを維持することが最大目的となる。だから同じ弱者であっても、これまでにより多く消費してきた高齢者には、豊かな生活を保障し、少ない消費しかしてこなかった若者は貧困でも構わないという考え方に至ってしまうのではないか。
 不況直後、「ワークシェアリング」などという言葉はあったが、いまだにそれが達成される兆しがないのは、誰も仕事を若者に譲らないし、譲らせようともしないからだ。若者に仕事を譲ろうとすれば、誰かの生活レベルを下げなければならないのだが、それは非常な困難を伴う。持ち家で仲良く暮らしている家族に、「家を売ってください。離婚してください」とは言えないだろう。一方で最初からシングルアパート暮らしの若者に、結婚して家を買えるだけの賃金を与えないことは非常に簡単だし、良心もさほど痛まない。だから社会は、それを許容する。

 
ポストバブル世代に押しつけられる不利益
 思えば私たちは、このような論理に打ちのめされ続けてきた。バブルがはじけた直後の日本社会は、企業も労働者もその影響からどのように逃れるかばかりを考えていた。会社は安直人件費の削減を画策し、労働組合はベア要求をやめてリストラの阻止を最優先とした。そうした両者の思惑は、新規労働者採用を極力少なくするという結論で一致した。企業は新卒採用を減らし、新しい事業についても極力人員を正社員として採用しないように、派遣社員やパート、アルバイトでまかなった。
 結局、社会はリストラにおびえる中高年に同情を寄せる一方で、就職がかなわず、低賃金労働に押し込められたフリーターのことなど見向きもしなかった。最初から就職していないのだから、その状態のままであることは問題と考えられなかったのだ。
 それから十数年たった今でも、事態はなんら変わっていない。経団連のまとめによる「2006年春季労使交渉・労使協議に関するトップ・マネジメントアンケート調査結果」によると、フリーターを正規従業員として積極的に採用しようと考える企業はわずかに1・6%にすぎない。世間はさんざん「フリーターニートは働こうとしない」などと言うが、

赤木智弘
朝日新聞社 「論座 2007年1月号」

このデジログへのコメント

  • mina.n 2018年10月30日 07:25

    手に職のある看護師だって、年齢と共に働く所を選べなくなるし。
    今までの経験とかも無視される。

    社員になれば望まぬ転勤もある。
    なかなか上手くいかないもんです。

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