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大先輩

2013年07月09日 08:48

大先輩

阪神>創成期の「巨人キラー」故西村氏長女が藤浪と対面へ

毎日新聞7月9日(火)7時30分配信
阪神>創成期の「巨人キラー」故西村氏長女が藤浪と対面へ

19番を背負う阪神・藤浪選手=阪神甲子園球場で2013年5月26日、長谷川直亮撮影

 ◇背番号19受け継ぎ

 プロ野球創成期に「巨人キラー」として名をはせ、太平洋戦争で戦死した大阪タイガース(現阪神)の故西村幸生(ゆきお)投手の長女、ジョイス野田幸子さん(75)=さいたま市=が13日、甲子園球場を訪ね、父と同じ背番号19を背負って活躍する阪神ルーキー・藤浪晋太郎投手(19)と初対面する。父やライバルだった巨人沢村栄治投手ら、戦火に散った多くの選手たちの遺訓を伝えて激励する予定で、「戦争の歴史が基にあって、野球を楽しめる今の平和な世の中ができあがったことを知ってほしい」と対面を待ちわびている。

【「巨人キラー」として活躍し、太平洋戦争で戦死した西村幸生投手】長女・幸子さんの写真

 プロ野球が誕生して2年目の1937年、西村投手は結成2年目の大阪入団し、鋭い変化球武器に同年から2年連続の「日本一」に貢献した。中でも37年に巨人と争った年間総合優勝決定戦(当時は春秋2期制)では、三重県宇治山田市(現伊勢市)の同郷である沢村投手との2度の投げ合いを制するなど3戦3勝と大活躍した。だが、わずか3年で引退し、34歳だった45年に出征先のフィリピンで戦死したという。

 西村投手と日系米国人の母との間に38年に生まれた津野田さんは戦後、母の両親を頼ってハワイに移住。「自分より弱い人に優しく、自分より強い人を恐れるな」との父の遺訓を胸に厳しい対日感情の中で勉学に励み、ハワイ州立大学長まで務めた。今も日本とハワイを行き来する忙しい日々を送る。

 家族から「すごい選手が阪神に入った」と聞いて藤浪投手の存在を知った。「背番号が父と同じで、まるで孫のように思えてきた」という。直接激励したいと仲介者を通じて球団に依頼し、熱意に打たれた球団が快諾した。津野田さんは「日本は素晴らしい国。若い選手は堂々とプライドを持ち、未来

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