- 名前
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- もう海外在住29年、定年もそろそろ始まり、人生のソフト・ランディング、心に浮かぶこと...
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夕焼け
2006年09月23日 08:32
普通より遅い夕食後家人が突然、あれ、見てごらん、とても珍しいぐらい真っ赤な夕焼けだわよ、と外を指差す。
なるほど、久しぶりに見事な夕焼けを見た。 それで、屋根裏部屋にあがって窓を開けてこの2ヶ月ぐらい機会あるごとにいろいろメモ帳代わりにしている手のひらに入るデジタルカメラを向けてシャッターを押したのだが、実際、初めから見たものと、刻々変わる雲の動きと光の具合を安物のカメラで捉えられるとも思わなかったが兎に角メモメモ、、といろいろ撮ってみた。 おかげで自分の眼にしっかりとは焼き付けた自信がない。
それに、ひと段落して屋根裏部屋から裏庭に下りてみて空を見上げるとたった2分程しか経っていないものの光の印象が違う。 10mに満たない高低であるが目に映る光の量も違うし角度も違う。 面倒なものだ、と思いながらも夜中に、それでは、これをコンピューターに移してさて、貼り付けようとしたときに明るさ、コントラスト、色の具合をちょっと操作したのだが、そうすると自分が見たと思うように画像をいろいろ工夫して何種類か作っているうちにどれがその時の空の色だったのかわからなくなってしまった。
昔、カラー放送が始まった頃、テストパターンというものが放送の初めや終わりに流されていてゆがみや色具合を調整する基準のような働きをしていたがそれにしても正確に印刷された色見本を手に調整するのであればいいが、自分のこれだと思う色に調整していたものだ。
電気機器の店で数々のテレビの画像を眺めていると少しずつ色が違う。 大抵納得のいくように調整がしてあるのだが、それをじっと眺めて比べるに、肌の色が美しく出ていればどうの、普段見慣れているものが現れていればそれも基準になるなあとか、そういうものに頼るのだが、今晩の夕焼けの場合、しっかり目に焼き付けた像の色に自信がもてなくて、どういう色でもありえそうでもあり、これだった、というものはない。 そこで、このようだったか、と自分で作った画像になるわけだ。
普通は物や人物を写真に撮った場合は多少は色変わりはあるものの無茶苦茶な変わり方はない。 昔であればフィルムが悪いの現像所がどうのこうのいうこともあったがデジタル写真になってからは素人の撮るものは色がうつくしくなっているようだ。
けれど、写真、真を写す、ということになるとこの場合どうなのか。はなはだ自信がない。 コンピューターグラフィクスの技術が進んで簡単に映っているものがその通りだとは信じられないのはゲームで遊ぶ子供達が一番承知しているはずなのだが、ある一方でそれを承知で仮想現実の世界に雪崩を打って入りそこが住処になり現実と仮装の混濁がおこるようなこともあるやと聞き及ぶ。 犯罪の分野でそういうことがとりざたされて久しい。我々の意識におよぼす影響ということなのだろう。
今晩はそういう体験をコンピューターなくして体験した。 というが正確ではない。 画像を処理していてその中で混乱したという事なのだが記憶と印象を次々に違う色を見ているうちにこういうことにも想いが向いたということなのだが、いずれにしても今は後悔している。
初めからできないとわかっていながら中途半端に写真に撮ろうとしないでもっとしっかりあの夕焼けを見つめておけばよかった。
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