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代償No.37

2018年06月06日 14:58

代償No.37



子どもたちが寝静まり、自分一人の時間ができた時、

また私の思考回路は、いつもの物思いに戻ってくる。


目の前にはいつものようにデスクの上にパソコン

でも日中予定外の事態にことのほかハードだったから

夜まで勉強する気になれなくって…

寝る前たまに読むことのある小説を手に取った。


パッピーエンドと分かっていても…

私をリアルとは違う世界に連れて行ってくれるからこの手の本は好き。

この前読み始め少しで眠くなって挟んだしおりのところをめくり、

ベッドにうつ伏せになって読み進める。


職場出会い、仕事を共にするにつれてお互いの信頼関係が深まっていく。

その後ヒロインに降りかかる困難…

お互いがお互いを想い合っているにもかかわらず、

擦れ違いと誤解で引き裂かれてしまう。

厳しい環境に耐えしのぐ痛々しい姿に自分を重ねて…

気が付けば涙が瞳から零れ、流れていた。


涙で前が霞み文字が見えない…

本を閉じ瞼を伏せて涙を堪える。


私も…

あの人と仕事をするのは楽しい

仕事のパートナーとしてはお互いに相思相愛で申し分ないと思う。

でも…

でもこのままずるずるとあの人の呼び出しに応じ続け、躰を重ね

お金をもらう日々をただ送っていてもいいのだろうか?


こんなことを続けて私は何を得るのだろうか?



躰の快感を得る代わりに、失う物のあまりにも多いこと…

それでも…

それがわかっていても…

止めることができない。


人である以上この快感を手放すことはできない。

今までに味わったことのない淫欲の雫。

その雫を一度手にしてしまえば…

飲み干せば次が欲しくなる。

もっともっと…

心以上に躰が勝手に欲しがり衝動的に行動してしまう。


それでもたぶんあの人が転勤してしまえば

この関係は私の感情に関係なく…

終わる。

あの人に捨てられたら、もう私に触れてくれる人なんて…

絶対に現れやしない。

こんな三十路を超えたややこしくて難のあるシングルマザーに、

そんな奇遇が起きるのは、そう…

私は掌の中にあるモノを握り締めた。

本の中の虚構の世界しかない。


そう思うと堪えたはずの涙がまぶたを閉じたままなのに溢れてきた。

現実は小説より奇なり。

現実は小説以上に残酷で…

不条理で理不尽だ。

それでも私は生き永らえないといけない…

そう娘のために。母親としての自分のために。

その夜、本を抱き締めたまま私はベッドに横たわり泣いた。


いつの間にか眠りの縁から堕ちていて…

次に目が覚めたら、

ベッドサイドの明かりがついたまま辺りが明るくなっていた。





夜が来ると、時たまそうやって悲観してしまうが…

基本考えないと決めているので、夜が明けてしまえば、

目の前の忙しさに、ただなすべきことをこなすだけでやっとだった。

家事に子どもの事に仕事。それだけあれば手一杯で毎日が明けては暮れる。


あの人との逢瀬は、そんな忙殺された日常を忘れさせてくれる…

私にとってはひと時の癒しのようで…

カンフル剤のようなものだろうか?


愛人契約」なんて大それたものにサインをした当初は、

悲観的になってしまうこともあったが、人間はどんなことにも順応する。


時間が経つにつれて、私の罪悪感は徐々に薄まっていった。

いいじゃない?

お金はあってもそう困らない。

もう思い悩まなくったっていい!!

あの人の言うとおりお金をもらう以外…

ほとんど変わらない。

奥さんだって、それでいいと。


あの人に抱かれているという事実は変わっていない。

絡まりついた自分の感情をほどこうともがくのをやめた。

そうしたらずいぶんと…

楽になった。

私は何かが、壊れているのかもしれない。

壊れてしまったのかもしれない。

でももうそんなことどうでもいいじゃない。


あの人は私をあの人なりに大切にしてくれる。

私も必要な男の躰とお金を手にしている。


こんな関係に瞬間でもそれ以上を望んだ私が悪かったんだ。


もう、なるようにしかならない。

ここまで踏み込んだんだから、流れに身を任せるだけ…


結局のところ今の状況は誰かに押し付けられたことではない。

何かで脅迫されたわけでも、勝手にサインされたわけでもない。

全ては自らが選んだことで…

自分で決めたことだから…

悲観することは度々あっても…

それでも後悔だけはしたくなかった。


日常生活と、それからかけ離れた世界を持っている自分。

あの人に触れられることに、

あの人と交わることに、この躰が悦びを感じるのだから、

私はこのままあの人に抱かれ続ける。

その快感を享受し続ける。


それでも終わりはそう遠くない明日に来るのだろうから…

自分から辞めることなんてできない。

自分からその快感を手放すことなんて…

無理。ただそれだけの事。


いつか終わりが来て、スマートに別れるふりをして

しばらくはボロボロになるだろうけど…

いつかそんなこともあったのよと、

時間が過ぎれば目を細めてほほえむことが

できるのではないだろうか?


この出会いがあったから私はこうなった。

誰でもいいわけではない…

こんなことすら知らないまま過ごすよりは、

女として生きる時間を許され、与えられた事実に

感謝すべきではないのではないだろうか?


それから数日後、私はあの人が運転する社用車の後部座席に乗り、

打ち合わせに同行した。

以前は普通に助手席に乗っていたのだが…

あれ以来できるだけソコに座ることを避けている。


隣というだけで、以前も変に意識してしまっていたけど…

今はもうソコに乗る勇気すらない。

気にはなってももう必要以上にあの人のそばに近寄りたくない。

私たちが…

その熱が伝わる、吐息がかかる距離に近づくのは…

密室だけで充分なのだから。

躰に変な刺激を受けるだけ受け、その後しばらく苦しみたくもない…


「さすが白石さんですね。

突然のこちらの都合でお願いした仕様変更にも、

本当にスマートに対応してくださって感謝です…」


目の前のクライアントが私の作った資料を見ながら謝意を述べる。

この前のFAXは、それを伝えるモノで…

今日はその変更点についての直接会ってミーティング

「もちろんです。

弊社ならこの程度の事は問題にならない程度の事なので、

ご心配には及びません。書類はこちらの相良が御用意したのですが

不備はございませんでしょうか?」


私はただ静かに笑みを浮かべながら

あの人がクライアントと話す様子を隣に座って伺っていた。


「ええ…

ざっと目を通したところでは大丈夫そうですね。

ところで白石さん、実はちょっと…」


クライアントが書類を持ったまま立ち上がりあの人を手招きする。

そのまま二人はドアを出て行って…

バタンとドアが閉まり、私はその場に一人残された。


こうやってよく連れてきてもらって、そのやり取りを

実際に見ることができたのも参考になったっけ?

今の私の仕事のやり方は、

あの人にずいぶんと感化されているのかもしれない…

そんなことを思いながら、私は誰もいない応接室のソファーで

伸びをした。


改めて応接室の中をきょろきょろと眺める。

誰かがいるときはこんな失礼なことはできないから…

振り向くと、背中の壁に目の覚めるような

強烈な印象を受けるような絵画がかかっていた。


舞い降りてきた天使女性に向かって何か告げたげな様子。

たぶん宗教画なのだろう。


目を細めてそのタイトルを見て…

それが世界的にも有名な絵画だと思い出した。

特にこういうものに興味があるわけではなかったけど、

たまたま若いころに行った美術館に本物があった。


ここにある絵よりははるかにサイズも大きく、

その美術館で見た時受けた衝撃はしばらくの間忘れられなかった。

女として生まれたらいつかこの身に新たな命を宿す時が来る。

その時も漠然とそう思ったっけ?

でも、もう私にはそんな幸せなサプライズは起きない。

そんなこと…

邪魔にこそなっても喜んで迎えるような

そんな環境になることはまずないだろう…


女としての快楽はもっともっとと享受したいくせに、

その結果として女の躰に起こることのある

自然で神秘的な命の摂理を拒絶する自分。

でも現代はそれが許されているのだから…

私は欲しいモノだけが手に入ればいい。

リスクがないわけではないけど…

今はピルも飲んでいるし、おそらく大丈夫だと思う。


「失礼しました…」

あの人がクライアントに伴われて応接室に戻ってきた。

「いえ…」

私はとっさに見ていた絵から視線を外し、ドアの方に向き直る。

「あっ、その絵をご存知ですか?」

「ええ…

昔、本物を見る機会がありまして…」

「そうですかぁ。結構遠いですが行かれたんですか?

あの美術館は本当に世界の名画が多数所蔵してあって、

すばらしいですよねぇ」

「ええ…」

それからしばらくクライアントの絵画談義に付き合った。

絵画には本当に興味がないんだけど…

でもこれも仕事のうち。

こういう共通の話題で相手の緊張を解きほぐしておけば

色々とうまくいく…

今度はあの人が私の隣に座り、静かに微笑んでいた。





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